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例)出雲国風土記,会誌〇号

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  • 史料紹介 明日香村西橘遺跡出土の「八雲評」木簡について

    今年の春に奈良県明日香村教育委員会から、西橘(にしたちばな)遺跡の報告書が刊行された。同報告書には270点の木簡が掲載されており、その中にここで紹介する「八雲評」と判読される荷札木簡がある。同報告書は奈良文化財研究所の『全国遺跡調査総覧』にてPDF公開がされている。詳細はそちらを参照いただきたい(以下の事実記載も報告書による)。  この遺跡は現在の明日香村役場に当たり、木簡は東側調査区の谷SX3041から出土した。この谷の出土土器の様相は飛鳥水落遺跡の貼石出土土器に類似し、木簡群も評-五十戸制のいわゆる前期評に相当しており、「670年代前後」(報告書98頁)9「天武朝の前半(あるいはそれ以前)と解するのが穏当であろう」(同95頁)とされ、土器の年代観とも「大きくは齟齬しない」(同120頁)。 木簡出土地区の発掘調査は1993年で、その後故橋本義則氏が釈読に当たったが、氏の逝去により、あらためて平成31年~令和3年にかけて、山本崇氏・藤間温子氏・東野治之氏・寺崎保広氏・鶴見泰寿氏を招聘して再検討が行われた。報告書はその検討成果を掲載している(報告書の文責は山本崇氏)。  木簡群は本質的には橘寺との関係を含め多様な検討課題を持っているが、出雲古代史研究に携わるものとしてまず気になるのは、表題に挙げた「八雲評」の荷札木簡である。報告書の正確な釈文は「□〔八〕ヵ雲評」で、冒頭の文字は推定を含む、という評価だが、写真からだけで判断すると「八」でよいように見える。現物観察の必要があるが、以下は報告書の釈文を前提として話を進める。  木簡には1点ごとに解説がつけられており、問題の史料は木簡41である。 解説全文を掲げると「四周削り。ヒノキ科・板目。綿の荷札。「八雲立つ」(『古事記』神代紀第八段)・「八雲さす」(『万葉集』巻3-430番歌)のごとく八雲は出雲にかかる枕詞として著名であるが、「八雲評」は不詳。養老雑令によると、綿は小斤で計量する(2度地条)。平城宮跡出土木簡のうち養老2年(718)以降の調綿荷札は4両=1屯としており、主計式上も同じ(2諸国調条)。「綿14斤」は約3.15kg。E4区Ⅳ層下層(灰黒色有機土)出土」。以下、雑感をいくつか述べてみたい。 (1)「八雲評」はどこの評か …管見の限り、古代史料に見える行政区画名・地名・神社名などに「八雲」はみえない(出雲国内にもない。長岡京木簡には人名に「八雲」がある)。現在は全国に八雲地名・八雲神社があるが、これらは祇園信仰の展開によるものとみられ、あまり参考にはならないだろう。新出の評名であるが、報告書が述べるように、「八雲」はやはり出雲の枕詞として著名な語であり、まずは出雲と関係から検討するというのは妥当である。  さて、出雲の評についての確実な一次史料としては木簡があるが、荷札木簡はすべていわゆる後期評に属しており(出雲の事例はすべて藤原宮出土)、前期評のものはない。楯縫評・出雲評(確実に「出雲」である)・神門評が確認される。他に出雲国府跡出土木簡に大原評がみえるがこれも正方位の溝から出土しており、後期評段階のもので良いだろう。また編纂史料では『日本書紀』斉明天皇5(659)年是歳条年に「出雲国造 名を闕く」「於宇郡」、『続日本紀』文武天皇2(698)年3月己巳条に「意宇郡司」が見える。前者はともかく、後者は確実に意宇評とみてよく、後期評段階には意宇評も存在していた。また『国造北島氏系譜』など出雲国造系図の最古部分は信憑性が高いとされるが〔高島1995〕、ここには国造叡屋臣の注として「帯許(評)督」の記載があり、これを信頼すれば国造本宗が評督となる評があったことになる(他の国造も評督・郡司だった者が多いと推測されるが注記はなく、彼は特別な評督、いわゆる初代立評人の可能性もある)。また、斉明紀にみえる「出雲国造 闕名」は史実に基づく記述とみる説が有力であるが、氏族名は不明で、これをもってこの段階に出雲国造出雲臣が成立していたとまで言い切れるかは難しい。  また、荷札木簡については出雲に限らず国毎に特色があり、時代を超えて連続しているとの指摘がある(有名な事例は隠岐の荷札木簡)。評制下の荷札木簡は原則国名表記がないが(国制がいつ成立したかも検討課題である)、のちの同一令制国内の評の荷札が共通する書式を有しているのである。山陰の荷札木簡の特色については8世紀のものもふくめて渡辺晃宏氏が整理しているが〔渡辺2015〕、出雲については①長さ幅は中程度であまり特徴がない、②オモテのみに1行書きが原則。③天平期から2行書きがみえる、④材はヒノキが多いが杉もある。板目が多い。とされる。当木簡は①・④は適合するが、裏面に記載がおよんでいる。また、キリコミ部と文字の関係については渡辺氏は中男作物は端部から書き始めているが贄木簡については文字がキリコミにかからないと述べている。別図のよう評制荷札に限ってみるといずれもキリコミ部に文字はかからず、これも当木簡に該当する。  次に物品名の綿であるが、『延喜式』主計寮上出雲国条では同国の庸に綿がみえるほか、木工寮式の諸国所進雑物にも出雲国の綿があり、出雲国の進上品として十分想定されるものである。  現状での私見は、特徴からもちろん当木簡を出雲の荷札と断定できないが、出雲の荷札と考えてもよいのではないか(出雲の荷札は著しい特徴がないとされるので他地域の荷札でもかまわないが、確実に出雲以外であるとはいえない)。他地域の評である場合は、出雲との特別な関係が想定される小地域(後の郷に相当)の評で後に消滅した評であろうか(小地名「出雲」や出雲神社のような事例。山背国愛宕郡出雲郷、各地の式内社出雲神社の例など)。 (2)『出雲国風土記』(以下『風土記』)の国号由来 …『風土記』は当然出雲国号を説明している、と考えがちだが、沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉氏による山川出版『風土記』は、国号由来のテキスト(11、細川家本の行数)を「所以芳雲者」=「芳雲(よくも)といふゆえは(いふを補読)」とし、結果として「芳雲」案を提示している。たしかに底本である細川家本(細本)の文字は「芳雲」にみえる。しかし、これは同写本にみえる独特の書クセでありこの文字は「号」と読むべきである。すなわち神門郡の郡名起源「所以号神門」もこの「芳」が使われているが(650)、ここが「芳」である可能性はない。現状、細本は「所以号雲者」(「出」が欠けることに注意)と釈文を起こすべきであろう。 ※細川家本と字体が酷似する倉野本『風土記』が国文学研究資料館の国書データベースで公開されており、上記写本の用字の特色を確認できる。  上説に従うと細本テキストは「所以号雲者、八束水臣津野命詔、八雲立」となる。これを忠実に読めば「雲」は「八雲立」に由来する、となる。  もっとも、つづいて本文は「故、八雲立出雲」と記されており、『釈日本紀』(『釈紀』)所引の『風土記』、蓬左文庫本『風土記』は該当部分をはっきり「所以号出雲」(つまり、「出」の字がある)としている。なお、蓬左文庫本は『釈日本紀』の影響を受けていないので、「号出雲」は細本には伝わらなかった原本の情報である可能性がある。また、常識的にも天平期の『風土記』として、当時の国号「出雲」の説明であるべきである。私見もやはり原本は国号出雲の説明であったとは思うが、終わりが「八雲」で終わっている点は、以前から細本『風土記』を読んでいて「?」と感じる箇所であった(もっとも、『風土記』にはこのような説話構成上の不整合はしばしば見られる)。このあとの、13「八雲立出雲」を最上段とする細本の改行も、何時の時代の書式かは不明だが特殊といえば特殊である。  地名起源伝承ではその地名の発音が説明中に入るのが一般的である。この原則に基づいてか、橋本雅之氏執筆の角川ソフィア文庫版『風土記』の『出雲国風土記』は国号由来のテキストを「所以八雲者」とする(特に「八雲」としたことについての註などはない)。写本の情報を第一義として古代の『風土記』を復元する立場からは、やはりこの釈文は考えづらい。ただし、「所以号出雲」を含む蓬左文庫本のテキストのうち細川家本と異なる箇所については、近世の「校正」を経ているとの指摘もあり(高橋2020)、『釈紀』の引用テキストの信頼性も検討の余地がないわけではない。  木簡の年代は670年代前後、当然ながら、記・紀編纂以前であり、それらの歴史解釈に引き寄せられている8世紀の地名・地名由来から、距離を置いた史料ということなる。この木簡を出雲地域の評の荷札とみると、編纂史料を除いた一次史料では「出雲」地名より「八雲」地名が先行して確認できることになる(出雲の一次史料初出は壬辰(692)年の鰐淵寺観音菩薩立像)。また、国造氏については意宇郡の豪族が出雲臣を名乗ることもかつてから問題視されていた。『日本書紀』仁徳即位前紀では淤宇宿禰とみえるから、いずれかの段階でオウからイヅモに改姓したことになる。ただし、『日本書紀』の影響を受けない郡里制下の風土記である『播磨国風土記』にはすでに出雲臣がみえるから、この氏族名は8世紀初頭の地域社会でよく知られた氏族とみられる。  やや大げさかもしれないが、記・紀と異なるとされる『風土記』の「八雲立つ」理解、『風土記』の記す伝承とは何時の頃のものか?などにも関わる可能性がある史料である。 (3)初期評の存在形態 …繰り返しになるがこの木簡群は670年代前後となる、前期評の木簡群であり、初期の評制を知るうえでも重要である。 木簡群中に明瞭な荷札木簡は少ないが、もう一点の評の荷札木簡がこれも新出の「鎮評」である。報告書の解説によれば、チヌ(茅渟・血沼)の可能性があるされるが、蓋然性はあるだろう。茅渟は宮・アガタ・ミヤケ名で著名だが郡名に継承されず、国郡制では和泉国和泉郡となった。『続日本紀』霊亀2年3月癸卯条では、和泉郡・日野郡が珍努宮に附属させられているので、宮(アガタ・ミヤケ)に附属する領域は和泉郡より広かったと考えられる。上記の推定に基づけば、チヌ評はのちに分割され、イズミとなり、この新コオリ名が国名と共有されている事例となる。  すでに荒井秀規氏によって指摘のあるように、初期の評には律令の郡をはるかにしのぐ大規模なものが存在し(改新詔では40里の郡が想定されている。国造国そのものの可能性がある)、後に分割されていったと考えられる。「鎮評」もこのような事例に加えられるものとなるか。「八雲評」のテキストがこれでよければ、コオリ名の変更と郡名への非継承も、「鎮評」同様に解釈出来る可能性があるだろう。 現状では数点の木簡で想定されるテキストの議論であるので、ここまでの話はいわゆる「思いつき」の域をでないものである。また、本来、現物の確認や、木簡群全体の評価や類例の増加を待って検討すべきことと思うが、やはり本木簡はいろいろと可能性を検討したくなる、きわめて重要な一次史料である。すでに正報告が刊行され、各種の付帯情報は整理され確定し、公開されている。だれでも発掘調査報告書総覧よりダウンロードできるので、会員のみなさまにおかれましては是非一読し、この木簡について一考してみてください。 ◆参考文献 山本崇2024「木簡」(明日香村教育委員会2024『西橘遺跡発掘調査報告書』) 荒井秀規2008「領域区画としての国・評(郡)・里(郷)」『古代地方行政単位の成立と在地社会』奈良文化財研究所 髙橋周2020「近世前期における『出雲国風土記』写本の系譜」『古代文化研究』28 渡辺晃宏2015「都城出土の出雲・伯耆・因幡地域の荷札木簡」『木簡研究』37 ※この記事は会員ブログであり、書かれている内容は出雲古代史研究会の見解ではありません。 ※木簡写真は明日香村教育委員会の掲載許諾を得ています(24年3月31日まで)。不許可転載。 ※11月20日に誤字を訂正、また写真を入れ替えました。 ※11月25日、木簡の年代観についての事実記載を訂正しました。報告書では670年代前後とされていたところを当初660年代としていました。それに関わる評価の記述も訂正しています。記して陳謝いたします。 ※写真掲載許可期間を過ぎたので、西橘遺跡出土「八雲評」木簡の写真は削除しました。

  • 企画展「里帰り!国宝青銅器」

    #荒神谷博物館(#島根県出雲市斐川町)は、大量の青銅器が発見された、 #荒神谷遺跡 を紹介するためにつくられた博物館です。このたび次の企画展をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞお運びくださいませ。 → 荒神谷遺跡について 企画展 里帰り!国宝青銅器 -埋納の地へ- 期 間:2025年4月9日(水)~2026年1月12日(月)火曜休・年末年始休 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場: 荒神谷博物館 (島根県出雲市斐川町神庭873-8)     → 交通アクセスのページ 観覧料:一般 500円/高大学生 250円/小中学生 130円 その他:里帰り展関連イベントあり     4/9 水 10:00~11:00 里帰り展開催式典と展示解説(要観覧料)         11:00~17:00 遺跡のガイドサービス

  • 速報展「大きな溝跡みつかりました」ほか

    #出雲弥生の森博物館 (#島根県出雲市)は、#四隅突出型墳丘墓 (西谷墳墓群)を紹介するためにつくられた博物館です。ただ今、次の速報展などをひらいているところです。マスクや手洗いなど感染予防をとったうえでご覧くださいませ。 → 西谷墳墓群について 速報展 大きな溝跡みつかりました ~高西遺跡の第3次発掘調査~ 期 間:2025年2月5日(水)~5月25日(月)毎週火曜休館 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場: 出雲弥生の森博物館 (島根県出雲市大津町2760)     → 交通アクセスのページ ギャラリー展 旧大社駅 写真展 文化財修理の現場 期 間:2025年3月8日(土)~6月30日(月)毎週火曜休館 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場: 出雲弥生の森博物館 (島根県出雲市大津町2760)     → 交通アクセスのページ その他:ギャラリートーク 3/9 日・4/13 日・5/18 日・6/8 日 午前10時     事前申込み不要/無料

  • 春季企画展「HUNT! -狩りの考古学 -」

    #島根県立八雲立つ風土記の丘( #島根県松江市)は、次のとおり春季企画展をひらくことになりました。博物館のまわりも、出雲国府跡などの史跡や古墳がいっぱい。レンタサイクルなどで #古代出雲 を楽しんでみませんか? → 風土記植物園のページ 令和7年春季企画展 HUNT! -狩りの考古学- 期 間:2025年3月22日(土) ~6月16日(月)毎週火曜休 時 間:09:00~17:00(入館は16:30まで) 場 所: 島根県立八雲立つ風土記の丘 展示学習館 (島根県松江市大庭町456)     → 交通アクセスのページ 入館料:一般 200円/大学生 100円/ 高校生以下 無料 解 説:担当学芸員による解説があります。     3/29 土・5/3 土・6/7 土 11:00~/無料(要入館料)/事前申込み不要 ガイダンス山代の郷ロビー展 パネルでふりかえる見返りの鹿 期 間:2025年1月18日(土) ~2025年7月4日(金)毎週火曜休 時 間:09:00~16:30(入館は16:00まで) 場 所: ガイダンス山代の郷 (島根県松江市山代町470-1)     → 交通アクセスのページ 入館料:無料

  • 歴研大会準備・全大会準備報告会 2025-04

    #歴史学研究会 (#東京)は、日本最大手の学会の一つです。このたび、次のとおり第3回大会準備・全大会準備報告会を対面でひらくことになりました。新年度のご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。 → 歴史学研究会について → 会誌『歴史学研究』 歴史学研究会 日本古代史部会 第4回 大会準備報告会 日 時:2025年4月19日(土)14:00~(開場13:30) 会 場: 早稲田大学戸山キャンパス39号館6階第7会議室 (東京都新宿区戸山1丁目24-1)     → 交通アクセスのページ 参 加:300円(資料代など)/ 事前申込み [4/17 木まで] 報 告: 井上 正望     「古代・中世移行期における天皇と空間」

  • 日本史研究会 古代史部会 2025-04

    #日本史研究会 ( #京都 )は、日本最大手の学会の一つです。このたび、次のとおり部会をひらくことになりました。新年度のご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいませ。 → 日本史研究会について → 会誌『日本史研究』 日本史研究会 古代史部会 日 時:2025年4月7日(月)18:30~21:00 会 場:①機関紙会館2F(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町)     ②オンラインZoom 報 告:新林 力哉     「仮)神祇官人・禰宜の御祈賞」 参 加: 申込みフォーム [4/6 日 正午まで]/対面参加は事前申込み不要 その他:終了後、対面参加は懇親会あり 日本史研究会 古代史部会 大会共同研究報告者業績検討会 日 時:2025年4月12日( 土 ) 15:30~18:00 → 通常とは曜日・時間が異なります 会 場:①機関紙会館2F(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町)     ②オンラインZoom 報 告:川村 裕大     西島  翼 参 加: 申込みフォーム [4/11 金 正午まで]/対面参加は事前申込み不要 その他:終了後、対面参加は懇親会あり

  • 隠岐国正税帳-新刊『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(八木書店刊)の紹介をかねて-

    会員 早川 万年 昨年(2024)、島根県立古代出雲歴史博物館で「誕生、隠岐国」と題する企画展が開催され、多様な視点から隠岐の古代文化が示された。文字資料としては、平城宮跡等で出土した荷札木簡が、隠岐と都との結びつきを考える上に注目されるが、同様に、やはり隠岐国で作成され、中央政府にもたらされたものとして正税帳がある。奈良東大寺の正倉院には天平年間の正税帳およそ27通が伝存し、そのなかに隠岐国郡稲帳と隠岐国正税帳がある。他の正税帳と同じく完全なものではないけれど、いずれも当時の国衙財政を窺うに足る貴重な史料である。 昨年11月に、鈴木靖民・佐藤長門編『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(八木書店、以下、「八木版」)が刊行された。本書は表題にある通り、翻刻編と影印編の二分冊からなっており、両者を照合しつつ翻刻編脚注を参照していけば各正税帳の理解を深めることができる。 正税帳の研究には、およそ次のステップがある。翻刻、断簡接続(復元)、そして記載の検討である。このうち翻刻と断簡接続に関しては、周知の通り『大日本古文書(正倉院編年文書)』を出発点として、林陸朗・鈴木靖民編『復元天平諸国正税帳』(現代思潮社、1985年)において全面的な見直しがなされた。 今般の「八木版」では更なる検証が加えられ、脚注も新たに施された。『大日本古文書』等の翻刻との相違も記され、末尾には正税帳の断簡整理・表裏対照表、および人名・地名・件名等の各種索引が付されており、読者への利便が図られている。 さて『大日本古文書』では、隠岐国の二つの「正税帳」(天平元年と天平五年)とされる文書であるが、現在では天平二年度の郡稲帳(一断簡のみ)と、天平四年度正税帳(「隠伎国正税収納帳」、以下「隠岐帳」)とされる。 天平四年度の「隠岐帳」六断簡の接続順(A~F)は比較的わかりやすい。A断簡は冒頭、B断簡は首部の中間、C断簡は末尾に「智夫郡天平三年正税穀…」とあることからその前行までが首部となる。D断簡は中途から始まり海部郡の途中まで。E断簡は某郡末から周吉郡、そして役道郡の中途に至る。F断簡には正税帳の末尾となる「謹件収納天平四年正税幷雑用之状具注如件…」が記されている。天平年間の隠岐国は四郡と推定されるので、智夫・海部・周吉・役道の四郡が順に配列されていたと考えれば辻褄が合う。 なかでもE断簡は重要で、周吉郡の記載のすべてが見られる。これによって本帳の各郡の記載項目が判明する。首部の四郡分の集計と各郡断簡を照合させていくと、この年度の隠岐国正税帳はほぼ完全に復元できる。かつて澤田吾一氏が和算書の「虫食い算」の応用とされた手法である(『奈良朝時代民政経済の数的研究』柏書房、1972年復刊、342頁)。復元の細部については検討の余地があるが、たしかにこの「隠岐帳」には、正税帳のもっともシンプルな姿が示されている。鈴木靖民氏が「隠岐帳」を、正税帳研究の「原器としての栄誉を担う」と言われた通りである(『復元天平諸国正税帳』423頁)。 これを踏まえて、各記載を見ていくと、当然ながら他国の正税帳の項目と重なるものばかりであって、「八木版」脚注にはその参照先が丹念に示されており、冒頭の用語解説と併用すればとりあえず「隠岐帳」の基礎的な理解は可能である。その上で、隠岐の古代史について考察を深める試みもあるが(例えば『復元天平諸国正税帳』428頁以降)、ここでは「隠岐帳」の記載そのものに目を向けたい。 正税帳に盛り込まれている内容は、国府の収入支出であって、その点からすれば、現存する27の帳簿は、基本的に共通した様式に依拠したはずである。しかしながら実情は、共通する項目がある一方で、帳簿間の差異も大きい。国ごとの作成手法に違いがあったのであろうが、天平年間に作成要項の変更がなされたことも考えられる(榎英一氏の教示による)。それにしても「隠岐帳」はあまりに簡単である。このことをどのように理解すればよいのであろうか。 むろん、書かれていることを率直に受け入れるのが原則である。とはいえ、正税帳は、あくまで中央政府が把握する(べき)「税」の収納支出を記載したものであって、それが現実の国衙支出の全てとは限らない。帳簿と実態にズレがあった可能性もあながち否定できない。国府官人や郡家の吏人たちが、積極的に「作為」(「隠蔽」「工夫」…)していたかどうかはともかく、実務としては帳簿を完結させる作業を優先して不思議はない。そして帳簿の記載さえ整っていれば、中央政府は受理したであろう(ただし国司交替等の際に紛糾が生じるおそれは否定できない)。 隠岐は一国であると同時に離島である。出雲国から海を渡って時に通達はあるものの、他所からしかるべき地位の官人がしばしば往来したわけではないであろう。さしあたり課せられた調庸物等の運送と、諸般の報告が円滑にできていればよい。隠岐の役人たちは、思いのほかしたたかであったかもしれないのである。 『続日本紀』天平2年4月甲子条には「大税収納、軽忽にすること得ざれ」とある。毎年、多くの帳簿が都にもたらされたはずである。その背後には、丹念に(誠実に)記載した吏人、うまく立ち回る官人、なかには不正をはたらく者もいた、ということであろうか。 このたび刊行された正税帳のテキストは、榎英一・荒井秀規両氏による充実した注記が一つの特色である。ただ注記は基本的には語句注であって、帳簿に見当たらないことまで書くわけにはいかない。注記を参考に、読みを深めていくことが読者に求められている。 「隠岐帳」と他の正税帳を比較しつつ、記載の背後にまで目を向けてみるのも史料研究の面白さである。「八木版」が参照されつつ、正税帳はもちろん、古代の隠岐にも考察が深まることを期待したい。 鈴木靖民・佐藤長門 編 『 翻刻・影印 天平諸国正税帳 』 八木書店 、2024年11月刊、本体15.000円+税 翻刻・影印 天平諸国正税帳

  • 「西川津遺跡再発掘!」展

    #島根県埋蔵文化財調査センター( #島根県松江市)は、島根県の文化財を調査・研究・保護する島根県の組織です。調査成果の普及啓発もおこなっており、ただ今、次のとおり展示をひらいているところです。 西川津遺跡再発掘! 期 間:2025年当面の間/毎週土・日・祝祭日休 時 間:09:00~17:00(入館は16:30まで) 場 所: 島根県埋蔵文化財調査センター 展示室 (島根県松江市打出町33)     → 交通アクセスのページ 入館料:無料

  • 古代山陰道ウォーク

    島根県出雲市には、山の尾根上をはしる古代道(古代山陰道)を発掘調査した杉沢遺跡があります。尾根上の古代道は全国で初めてです。このたび出雲市は、出雲国山陰道跡のウォーキングイベントをおこなうことになりました。参加したい方は、先着30名ですので、お早めにお申込みください。 → 島根県遺跡データベース > 杉沢遺跡 古代山陰道ウォーク ~古代のハイウェイを歩こう~ 日 時:2025年3月22日(土)09:00~12:00 会 場: アクティーひかわ (出雲市斐川町上直江2469) 参 加:無料/事前申込み/先着30名 申込み:①電話   0853-21-6893     ②Eメール bunkazai〔★⇒@〕city.izumo.shimane.jp          氏名     住所     連絡先(携帯電話など) 10:00~10:30 講座 石原 聡(出雲市文化財課) 「古代のハイウェイ 国史跡 出雲国山陰道跡」 10:30~12:00 散策 古代山陰道を解説付きでウォーキング

  • 私の出雲古代史研究会夜話2

    内田律雄 3.出雲古代史研究会の発足 古代史サマーセミナー出雲大会終了後、井上寛司先生の提案で出雲古代史研究会発足に向けて準備が進められることになった。何回か、出雲と東京で発足に向けて会議を行い、サマ―セミナーから3年をかけて、1990年7月29日、第1回の研究会が島根大学の一室で開催された。出雲古代史研究会が産声を上げた瞬間であった。 第1回のテーマは「国引き神話の再検討」で、様々な視点から研究報告がなされ、白熱した議論が飛び交った。それは夜の懇親会でもさらに続き、遅くまで語り合った。会場の準備や設営、備品、懇親会の手配まで、すべて井上先生が手配して下さった。 懇親会の中で、近世史がご専門の小林俊二先生が、近世文書の研究の面白さを熱心に語っておられたのも印象的であった。晩年、先生は実家のある仁摩町で毎日自転車で仁摩町立図書館に通われノートをとっておられた。偶然、仁摩町で二年間仕事をする機会があり、時々、図書館の小林先生の指定席で邇摩の歴史についてお話を伺った。発足の頃は古代史に限らず様々な分野の研究者からも研究報告をしていただいた。 4.出雲古代史ブーム こうして何とか船出した出雲古代史研究会であった。しかし、偶然か必然化はわからないが、前後して大東町の神原神社古墳の景初三年鏡、松江市の岡田山古墳の「額田部臣」銀象嵌の大刀、斐川町の荒神谷遺跡の銅剣・銅矛・銅鐸、加茂町の加茂岩倉遺跡の39個の銅鐸、大社町の出雲大社境内の中世出雲大社の巨大柱遺構が次々と発見され、出雲古代史ブームが巻き起こった。出雲神話が見直され、古代出雲王国論が飛び交った。 しかし、出雲古代史研究会はそのようなブームとは一線を画し、冷静にコツコツと研究会を続けた。とりわけ『出雲国風土記』の近世の諸研究を正しく批判継承していくことが重要であることを導き出したことは成果の一つであった。 5.レクエイムを越えて しかし、順調に続けてきた出雲古代史研究会であったが、会の中心的メンバーで、研究会を引っぱってこられていた、小林覚先生(上代文学)と関和彦先生(古代史)を相次いで失ったのは大きな衝撃であった。これから古代出雲の総まとめに入られるところだったのに違いないからだ。 ただ、両先生が蒔かれた出雲古代史研究という種は、現在、新メンバーとなった幹事会を中心に確実に芽を吹きだそうとしているように思える。私はささやかながらその肥やしになれば幸いと思っている。 6.再び朝酌川流域へ 今、私は再び朝酌川流域の古代・中世へ目を向けている。その後の発掘調査で、新しい遺跡の調査成果が蓄積され、大幅に見直さなければならなくなってきたからである。牛歩の如くであるが、もし、成果があれば少しずつ『出雲古代史研究』に投稿したいと考えている。(了) ※今まで内田律雄「私の出雲古代史研究会夜話」をご覧くださり、ありがとうございました。

  • 日本史研究会 古代史部会 2025-03

    #日本史研究会 ( #京都 )は、日本最大手の学会の一つです。このたび、次のとおり部会をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいませ。 → 日本史研究会について → 会誌『日本史研究』 日本史研究会 古代史部会 日 時:2025年3月17日(月)18:30~21:00 会 場:①機関紙会館2F(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町)     ②オンラインZoom 報 告:加藤 かしこ     「平安中期における「童」の位置付け」 参 加: 申込みフォーム [3/16 日 正午まで]/対面参加は事前申込み不要 その他:終了後、対面参加は懇親会あり

  • トンボの眼「出雲神話の謎に迫る」

    #トンボの眼 は、「連続講座」「特別講演会」「講演&対談」「シンポジウム」の4つの講演会活動をおこなう民間企業です。このたび当会の会員が出雲神話について連続講座をひらくことになりました。 → トンボの眼の催事の説明 トンボの眼 森田喜久男先生連続3回講座 出雲神話の謎に迫る 講 師: 森田喜久男 ( 淑徳大学人文学部教授 )→ 当会の会員です 会 場: IKE・Bizとしま産業振興プラザ (イケビズ)(東京都豊島区西池袋2丁目37-4)     → 交通アクセスのページ 参 加:各回3000円/“WITH・YOUくらぶ”会員割引特典 全3回8500円 その他:オンデマンド(収録録画)でも受講できます 3月12日(水) 13:15~14:45 ヤマタノオロチ退治神話の真実 4月30日(水) 13:15~14:45 国譲り神話の真実 6月18日(水) 13:15~14:45 国引き神話の真実

  • プロが語る!歴史・文化財講座2024

    #出雲弥生の森博物館 ( #島根県出雲市)がひらく市民講座をご案内いたします。感染予防をとったうえでお運びくださいませ。 プロが語る!歴史・文化財講座 会 場: 出雲弥生利森博物館 (島根県出雲市大津町2760)     → 交通アクセスのページ 時 間:14:00~16:00 参 加:各回300円/事前申込み/先着80名 申込み:①電 話 0853-25-1841     ②FAX  0853-21-6617     ③メール yayoi〔★⇒@〕 city.izumo.shimane.jp     氏名・電話番号 2025年2月8日(土) 14:00~16:00 佐藤 仁志(松江市文化財保護審議会 委員) 「出雲と二ホンアシカ」→ 2025年3月20日(木祝)延期 2025年2月15日(土) 14:00~16:00 佐々木杏里(公益財団法人 手錢美術館 学芸員) 「手錢家文書調査から見えてきたこと」 2025年3月1日(土) 14:00~16:00 中村 唯史(島根県立三瓶自然館サヒメル 学芸員) 「島根県の石こう鉱山と日本の近代化」

  • 島根考古学会例会 2025-03

    #島根考古学会 は、島根県とそのまわりの考古学研究を推し進めるとともに会員同士の交流を深める団体です。島根考古学会 は、このたび次のとおり、例会をひらくことになりました。年度末のご多用の折かと存じますが、ご都合がつきそうな方はなにとぞご参加くださいませ。 → 島根考古学会について 島根考古学会 2024年度3月例会 日 時:2025年3月9日(日)13:00~16:00 会 場: 島根県民会館307会議室 (島根県松江市158)     → 交通アクセスのページ 参 加:会員 無料 | 非会員 資料代/どなたでも 13:10~14:00 清水友陽 「中・四国地域における縄文時代の貝製腕輪について」 コメンテーター:柳浦俊一(島根県埋蔵文化財調査センター) 14:10~15:00 永井光則 「出雲・備後間における造瓦工人集団の移動」 コメンテーター:林健亮(島根県埋蔵文化財調査センター) 15:10~16:00 稲垣和寿 「備中・備後の古代寺院における造瓦工人の検討  -栢寺廃寺跡と寺町廃寺跡を中心に-」 コメンテーター:榊原博英(島根県古代文化センター)

  • 大阪歴史学会 例会 2025-02

    #大阪歴史学会 (#大阪)は、日本最大手の学会の一つです。このたび、以下のとおり例会をひらくことになりました。オンライン開催ですので、ご都合がつきそうな方はご参加をなにとぞよろしくお願いいたします。 → 大阪歴史学会について → 会誌『ヒストリア』 大阪歴史学会 日本古代史部会(続日本紀研究会) 2月例会 日 時:2025年2月21日(金)18:30~21:00 参 加:無料/ 事前申込み [2/20 木まで] 報 告:儀賀 太希     「仮)平安前期における般若系経典の受容と変遷」 その他:終了後、オンライン懇親会 大阪歴史学会 日本古代史部会(続日本紀研究会) 『日本後紀』輪読 日 時:2025年2月28日(金)18:30~21:00 参 加: 無料/ 事前申込み [2/27 木まで] 輪 読: 増成 一倫     『日本後紀』弘仁5年9月庚辰条~10月庚午条 その他:終了後、オンライン懇親会

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