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「」に対する検索結果が683件見つかりました

  • 出雲国風土記百景(第25景)

    【野代の海中】 (2013年9月1日撮影) 今回は意宇郡202に見える野代海中(のしろのわたなか)を取り上げる。 写真はいわゆる嫁が島…まあベタな夕日写真で、正直ほかに撮りようはないのかとも思いますが挙げました。 完全な晴れている日は面白くなく、水平線が晴れていて、松江上空が曇っているような時がおもしろい写真が撮れますが、こればかりはお天気次第。 さて、野代海は『風土記』中に見える唯一の入海(現在の宍道湖・大橋川・中海)の別称で、同じく193に見える野代川の河口付近、と考えられている。 下はこの周辺の地図で、地理院地図に標高別色分けをしたもの。国土地理院地理院地図から簡単に加工できる(スケールやテキストは別)。便利な時代になったものだ。標高10m以下を着色し、青色が低く、茶色が高い。 (地理院地図に加筆) 見てもらうとわかるが、現在忌部川と呼ばれる風土記の野代川の河口はかなり南である。嫁島町・西嫁島町は戦後の埋め立て地で、また浜乃木の旧競馬場跡(トラック状の地割が見える)あたりが低い。 この周辺についての古地形(弥生時代)は別所秀高氏による復元があり(別所2021)、旧競馬場のあたりにラグーンが、またJR山陰本線のあたりに砂州が想定されている。浜乃木周辺には野代川の蛇行原があるが、山陰本線より北側には及ばない。 一方で、嫁が島の北側を見ると、県立美術館や白潟公園の造成地を除いて、白潟本町が高いことがわかる。ここには地表下に白潟砂州が存在し、中世には港湾と町場が形成されていたことが知られている。現在、その突端部で発掘調査が行われており(松江城下町遺跡白潟地区)、中世以前の砂州の様相についての成果が期待される。 『風土記』には、この辺りについては野代海中の記事しかないが、実際の景観は南北ともに白砂青松の海浜で、中央に現在円城寺のある山がそびえ、対岸に蚊島があるという状況が推測できる。意宇郡の西側には同等の砂州は存在せず(玉湯川河口がやや広く、『風土記』141~143にも景観の描写がある)、やはり野代海、というのは特記される景勝地だったのではなかろうか。 現在この辺りは袖師町で、これも昭和に埋立地についた町名だが、中世以降で出雲国と認識される歌枕「袖師浦」の比定地にもなっていく(袖師浦の比定地は東出雲町、意宇川河口にもある)。この辺りは次回に。 参考文献 別所秀高2021「神後田遺跡周辺の古地形復元に向けた予察」『神後田遺跡発掘調査報告書』松江市教育委員会 (平石 充) ※8月20日は出雲古代史研究会大会準備のため休載します。 ※次の更新は8月27日土曜日になります。 ・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。 ・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。 ・写真の無断転用はお断りします。

  • 出雲国風土記百景(第24景)

    【鯉と鮒】 【2021年 2月21日 島根県川本町湯本にて撮影】 今回は『風土記』に鯉がいるのかというお話。写真は残念ながら適当なものがなく、石見の川本町で撮ったもの。また、錦鯉も古代にはいなかったと思うがそこはご容赦を、写真優先のブログなので。  さて、『風土記』には生息する動物の記載があるが、淡水の魚類については原則川や池に記載されており、本ブログが採用する細川家本テキストには、この生物の記載としては「鯉」は存在しない。なぜこう書くかというと、生物の名称ではないが、地名に307島根郡鯉石島がみえるからである。 なお、鮒は多数見え(7か所)、出雲市青木遺跡出土の墨書土器ににも「三鮒」(美談の鮒の意味)がある。 一方、補訂本系写本の、完全なものとしては最古になる岸崎時照の『出雲風土記鈔』には、島根郡法吉坡(つつみ、山川では268にあたる)に「鯉・鮒」が記されている。 これについて岸崎の註(『風土記』本文の後に鈔曰く…として記される)については、髙橋周氏の検討がある。それに導かれながら触れると、まず時照は「鯉は衍字」「異本になし」として、大社の神官、佐草自清(さくさよりきよ)の説を引用する。 自清は、古くは鯉はおらず、堀尾忠氏の時に輸入した鯉がその後の洪水で国内に広まった、との見解を述べる。それについての岸崎の見解は、反語の繰り返しで正直真意を取りづらいが、最後に「何不敢信哉」(なんぞあえてしんぜずや)=岸崎説を信じるべき、と結んでおり、少なくともこの時点では「鯉はいなかった説」だと思う。 ※なお、江戸時代まで出雲に鯉がいなかったということ自体は歴史的な事実とは思えない。『常陸国風土記』には鯉・鮒と併記され、出雲市上長浜貝塚(平安時代)出土の動物遺存体にはコイ・フナ両方が存在する。鯉のあるなしは『風土記』編者の動物認識論になると想定される。 さて、そうすると「鯉」が記されていた写本とは?ということになる。髙橋氏が述べるように、佐草自清が持っていたと思われる写本(現存せず)には、鯉はなかったし、岸崎も衍字(えんじ)=間違いといっている。 では、だれが書き加えたものか、ということが問題になる。次回に続く。 2022年8月25日追記 「だれが書き加えたか」としたが、細川家本・蓬左文庫・日御碕神社本は該当箇所に 「魚鳥」(一文字)があり、細川家本は抹消符を付けている。『鈔』の本文はこの文字を鯉と釈読したことになる。「魚鳥」の前は鳥類の記述であり、この文字は「告鳥」=鵠(ハクチョウ)の誤写の可能性がある。 参考文献 髙橋周2014「出雲国風土記写本二題 ―郷原家本と「自清本」をめぐって―」『古代文化研究』22 ※髙橋の髙はハシゴ高です。 ※2022年8月25日に上長浜貝塚の記述を加えました。 (平石 充) ※次回は7月23日に更新します。 ・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。 ・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。 ・写真の無断転用はお断りします。

  • 2021年 出雲古代史研究会 大会御礼

    本日はご多用のなか、前年をこえる、しかも初めての方からのご参加も多くいただき、誠にありがとうございました。初めてのオンラインでの開催でしたが、みなさまのご協力のもと、大盛況のうちに無事終了することができました。 当初は会場とオンラインのハイブリット開催を予定しておりましたが、直前になって新型コロナの感染急拡大により、会場参加を希望された方にも、やむなくオンラインでの参加をお願いいたしました。 そのほかメール送信がうまくいかないなど行き届かなかった点が多々あり、多大なるご迷惑をおかけして申し訳ございません。ひとえにみな様の温かいお力添えで、今年度の会を終えることができ、厚くお礼申し上げます。 特に、#古代交通研究会(#東京)には研究会という垣根をこえた初の共同広報へ全幅のご理解とお力添えをいただき、深謝するばかりです。関係者の皆さまありがとうございました。 出雲古代史研究会と古代交通研究会は、次のアカウントを開設しています。サイト・ブログのブックマークと、SNSのフォローをお願いできれば幸いです。 出雲古代史研究会 サイト 出雲古代史研究会 Facebookページ(@izumoken) 出雲古代史研究会 Twitterアカウント (@izumoken) 古代交通研究会 サイト 古代交通研究会 Facebookページ(@kodaikotsu ) 古代交通研究会 Twitterアカウント(@kodaikotsu) 今後とも、出雲古代史研究会をなにとぞよろしくお願い申し上げます。 2021年8月22日(日) #出雲古代史研究会 事務局

  • 夏季企画展「祈りが込められた副葬品」ほか

    ご紹介が遅くなり申し訳ございません。#出雲弥生の森博物館(#島根県出雲市)は、#四隅突出型墳丘墓(西谷墳墓群)を紹介するためにつくられた博物館です。ただ今、次の企画展などをひらいています。マスクや手洗いなど感染予防をとったうえでご覧くださいませ。 →西谷墳墓群について 夏季企画展 祈りが込められた副葬品 期 間:2022年7月23日(土)~10月17日(月)毎週火曜休館 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場:出雲弥生の森博物館(島根県出雲市大津町2760) →交通アクセスのページ 講演会:2022年9月11日(日)14:00~16:00 加藤 一郎(宮内庁書陵部) 「古墳と神僊思想」 その他:7/23(土)・8/7(日)・9/4(日)・10/1(日)午前10:00~ ギャラリートーク/無料/予約不要 速報展 源代遺跡の発掘調査 ー風土記に記された川の跡ー 期 間:2022年6月1日(水)~9月26日(月)毎週火曜休館 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場:出雲弥生の森博物館(島根県出雲市大津町2760) →交通アクセスのページ ギャラリー展 いつまでも戦後でありたい2022 旧大社基地の調査速報 期 間:2022年7月6日(水)~10月31日(月)毎週火曜休館 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場:出雲弥生の森博物館(島根県出雲市大津町2760) →交通アクセスのページ その他:7/17(日)・8/28(日)・9/18(日)・10/16(日)午前10:00~ ギャラリートーク/無料/予約不要

  • 2022年度 古代史サマーセミナー

    サマーセミナーは研究をとおして交流と親睦をはかる研究会です。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックをうけて、今年度のサマーセミナーもZoomを利用した分科会のみ開催する運びとなりました。 2021年度 古代史サマーセミナー分科会 日 時:2021年8月28日(日)13:00~17:30(12:45より開場) 会 場:オンラインZoom 参 加:無料/事前申し込み[8/25 木まで]/先着100名 その他:終了後、2時間ほどオンライン懇親会をひらきます 問合せ:お申込みなどについて 日本史研究会 古代史部会 nihonshiken.kodai〔★⇒@〕gmail.com 当日の進行などについて 歴史学研究会 日本古代史部会 kodaishibukai〔★⇒@〕yahoo.co.jp スケジュール

  • 特別展 青銅器の道シリーズ1

    ご案内が遅くなり申し訳ございません。#荒神谷博物館(#島根県出雲市斐川町)は、大量の青銅器が発見された #荒神谷遺跡 を紹介するためにつくられた博物館です。ただ今、次の特別展をひらいています。 →荒神谷遺跡について 特別展 青銅器の道シリーズⅠ 海峡を越えて -本州最西端の弥生文化- 期 間:2022年7月16日(土)~8月29日(月)期間中無休 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場:荒神谷博物館(島根県出雲市斐川町神庭873-8) →交通アクセスのページ その他:荒神谷史跡公園マップ

  • 企画展「四隅」が出現した頃-副葬品は語る-

    ご案内が大変、遅くなり申し訳ございません。#荒神谷博物館(#島根県出雲市斐川町)は、大量の青銅器が発見された #荒神谷遺跡 を紹介するためにつくられた博物館です。ただ今、次の企画展をひらいています。 →荒神谷遺跡について 企画展 「四隅」が出現した頃-副葬品は語る- 期 間:2021年10月11日(月)~12月20日(月)期間中無休 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場:荒神谷博物館(島根県出雲市斐川町神庭873-8) →交通アクセスのページ その他:荒神谷史跡公園マップ 日本博 出雲まるごと博物館 神々の集う国「出雲」体験フェスタ ~日本博 in 出雲~ 期 間:2021年12月1日(水)~2022年2月28日(月)12/21(火)~24(金)休室 期 間:日本博 in 出雲/2021年4月1日(木)~2022年3月31日(木) 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場:荒神谷博物館(島根県出雲市斐川町神庭873-8) →交通アクセスのページ 《参 考》 岩城卓二/高木博志『博物館と文化財の危機』人文書院、2020年、本体2300円 日本博について ICOM(国際博物館会議/英語)

  • シリーズ地域の古代史 全6巻

    #出雲古代史研究会(#島根県松江市)は、皆さまとご一緒に #古代出雲 の最先端をつくることをめざしています。このたび古代出雲の研究をはじめたい方にもおすすめのシリーズ本がでることになりました。出雲古代史研究会の会員も多数、書いています。電子書籍もありますので、ぜひご覧くださいませ。 KADOKAWA 地域の古代史 全6巻  吉村武彦/川尻秋生/松木武彦 編 『東アジアと日本』 2022年2月、本体2200円 『陸奥と渡島』 2022年6月、本体2300円 『東国と信越』 2022年4月、本体2300円 『畿内と近国』 未刊行 『出雲・吉備・伊予』 2022年8月、本体2300円 『筑紫と南島』 2022年2月、本体2200円 《参 考》 吉村武彦/吉川真司/川尻秋生 編『シリーズ 古代史をひらく』岩波書店、全6巻 佐藤 信 監修/新古代史の会 編『テーマで学ぶ日本古代史 政治・外交編』吉川弘文館、2020年、本体1900円 佐藤 信 監修/新古代史の会 編『テーマで学ぶ日本古代史 社会・史料編』吉川弘文館、2020年、本体1900円

  • 出雲国風土記百景(第20景) 

    【蜈蚣島(むかでじま)】 【2017年 9月28日撮影】 中海に浮かぶ江島は、『出雲国風土記』には291蜈蚣島として登場する。 実は細川家本ほか岸崎時照の『出雲風土記抄』を含め写本ではこの島は「たこ(虫+居、虫+者)島」と記されている。しかし、この島の説明は293で「故、蜈蚣島と云ふ」と閉じられているので、細川家本のテキストをできるだけ生かす山川出版『出雲国風土記』を含め、諸注釈書は291の「たこ島」を「蜈蚣島」に校訂している。なお、誤写されている「たこ島」は江島の南にある大根島のことで、『風土記』ではこの島の前287~に別に記述がある。 今日の本題ではないのだが、蜈蚣島の神社について記しておく。293よれば蜈蚣島には東辺に神社があるとされるが、補訂本系写本は脱落した島根郡神社記載に不在神祇官社「たこ社」を2社復元するものの蜈蚣社は復元しない。なお、現在江島(蜈蚣島)にたこ神社がある。 このような補訂本系写本の神社の復元は、蜈蚣島を「たこ島」と誤った後、たこ島が二つあり、蜈蚣島がない写本に整合するように行われたと見るのが妥当であろう。これはいつのことなのか明らかにしえないが、すでに諸氏によって指摘のあるように古代の補訂とは考えられないだろう。 さて、写真は、現在の江島丘陵を降りた水田部である。といっても水田耕作が放棄されており、残念ながら野生化した稲が生い茂っている。写真に見える森はそこに浮かぶように点在する小山である。かつては水田中にはっきり小山が見えたのだが、その頃の写真(コンパクトデジカメで撮影していた頃)は整理が悪く、発見ができない。 このような状況は、古墳時代の群集墳でよく見られるのだがこれは群集墳ではない。有名な秋田県にかほ市の象潟(きさかた)のような、陸化した小島である。 陸化したのは干拓の結果であるが、小島部分が水田化できなかったのであろう(現在江島の周辺に島として存在しているものは玄武岩質である)。 こちらは、国土地地理院の航空写真閲覧サービスの写真から引用した同じ場所である。水田部に点々と水田化できなかった小島が見えている(現在は消滅したものも多い)。 以下は推定というか想像なのだが、『風土記』では、蜈蚣島の由来は、たこ島の由来に結びつけられており、たこ島の名の元となったタコが食べようとしていたムカデによるとされる。 蜈蚣は説話を無視しても節足動物のムカデと考えてよいのだが、たこ島のたこは、289に「今の人猶誤りて栲(たく)島と号く」と記されており、水生動物のタコではない可能性がある(次回検討)。 そうなると、タコが食べようとしていたムカデというのはあくまで文章化された説話であって、本来の由来は別にあることになる。なぜムカデなのかというと、これはこの島の周辺に小さな島が多数あり、その小島をムカデの足になぞらえたためではないか、というのが今日のお話である。                           【平石 充】 ※次回は5月28日に更新します。 ・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。 ・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。 ・写真の無断転用はお断りします。

  • 出雲国風土記百景(第21景)

    【たこ(虫+居 虫+者)島】 【2021年9月撮影】 まずは写真から。 大根島(『風土記』のたこ島)の波入あたりの風景ではないかと思うが、昨年度はよく晴れた日が多く、家から近いこともあって、何度も写真撮影に訪れた。そのうちの一枚である。高い雲とマグリットの絵みたいな低い千切れ雲の日だったなと思い出される。 さて、写真の良否は措いて、島が低平で、高木が少ないことがうかがえると思う。このような土地利用が、今でもしばしばみられる(写真を撮る立場から言うと、電線が入らないのが素晴らしい)。 前回、『風土記』の蜈蚣(むかで)島(現・江島)は、島の形がムカデだったからではないかと指摘した。 蜈蚣島の南にある「たこ島」(現・大根島)の由来はどのように考えるべきであろうか。『風土記』では287~291に説明がなされており、古老が伝える「杵築の鷲が掠ってきたタコがこの島にいたため、たこ島になった」との説話を記した後、つづけて今の人は誤って「栲(たく)島」と呼んでいると記す。現実には栲島と呼ばれていたとみるべきであろう。 この島と同じ島名は万葉集1233番歌に原文「栲島」としてみえる(ただし、出雲の島かどうかは不明)。 また『夫木抄』巻二十三 承保(ママ)三年十一月出雲国名所歌合にも、「人知れぬ わが恋なれや焼島の  あま の藻塩の たえぬ煙は」の歌が見える。歌自体は都で読まれたと思われるが、この「焼(たく)島」はまず間違いなく出雲の栲島をイメージしたものとしてよいだろう。 近世では、意宇郡に属し『雲陽誌』は「焼(たく)島」としている。なお大根島の名称は中世後半から焼島とならんで見えるようになる。 このように、この島は『風土記』採録の古老説話(タコ説話)とは別に「たく島」と呼ばれていたと思われるが、ではこの「たく島」は何に由来するのであろうか。 ここで『風土記』の記述を見ると、『風土記』の頃には、松二本を除いてほかに木はなく、茅などが生い茂っていて「牧」(細川家本では「枚」)がおかれていたとされる。 【枕木山から見た大根島 2017年9月3日撮影】 実際の大根島は写真とおりの低平な島で、更新世約19万年前の火山噴火によって形成されているが(噴火当時は島でなかった)、「焼島」(近世には火山島を指す)はこのことを指しているとは思われない。 ただし、高木がなく現地表にもクロボクが広がることから、牧としての管理のために、定期的に野焼きがされていたとみることはできないだろうか。 この連載の第一回目に『風土記』で大山が火神岳と呼ばれていた理由に、大山クロボクを形成した野火や野焼きを想定したが、ここでも同じことを想定してみたい(つまり野焼きされる島という意味)。                         【平石 充】 ※次回は6月12日に更新します。 ・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。 ・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。 ・写真の無断転用はお断りします。

  • 出雲国風土記百景(第22景)

    【宇比多伎(うひたき)山】 今回の宇比多伎山は、『風土記』をある程度呼んでいる人にはすぐ?となったろう。 それは『山川』に対応する行数がない、すなわち細川家本になく、補訂本系写本にのみ見える山名だからである。 この宇比多伎山は『山川』の神門郡695行目に当たる。吉栗山割り注のあと、「家東南五里…」の間で、山名が抜けていると考えられる。なお、めずらしくここは『山川』もつづく山名のルール(大神の御○とされる山は、○山)に従って、細川家本にない「屋山」を補っている。 さて、この宇比多伎山について、最古の補訂本である『出雲風土記抄』は、明快にその所在地を論じており、それは朝山郷説話に見える真玉着玉邑比日女と大穴持命をまつる宇比多伎明神(現朝山神社)があるからとしている。また、他の五山についても宇比滝の左右前後の山であるとしている。 このことから、宇比多伎山が17世紀にあったことは確実で、さらに補訂者は現地をよく知るというか、続く五山も含めこの山の周辺に想定していた人物とみられる。 【朝山森林公園展望台 2015年8月2日撮影】 さて、その点をおいてこの地の朝山神社奥の展望台に経ってみると、なんと大社湾までが見通すことが出来、眼下には谷を蛇行する神戸川を眺めることができる。 そしてこの左側に雲井(うい)滝がある。 全体は撮影時でも見渡せなかったが、落差は100~120mで、おそらく出雲でも最大級の滝である。水量が少ないとの意見もあるが、おそらくそのようなことはない。 【雲井滝 2015年8月2日撮影】 いってみるとわかるのであるが、この山は山頂部が平らなテーブルマウンテンで、水田が広がっている。その平坦面から流れ落ちる滝がこの雲井滝なのである。 これも特徴的な地形であり、この地が注目された理由は考えるべきであろう。 ※なお、昨年土砂崩れで参詣用の道路が被災していますので、道路状況を確認の上ご来訪ください。 ※次回は6月25日に更新します。 ・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。 ・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。 ・写真の無断転用はお断りします。

  • 高大連携歴史教育研究会 大会8

    は、大学や高等学校など様々な縦割りを乗り越え歴史教育の実践に取り組む研究会です。 このたび、2022年高大連携歴史教育研究会大会をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、どなたでも参加できますので、なにとぞよろしくお願いいたします。 →高大連携歴史教育研究会について 高大連携歴史教育研究会 第8回大会 日 時:2022年7月30日(土)13:00〜16:15 2022年7月31日(日)09:00~17:45 会 場:①同志社大学 新町キャンパス 尋真館(京都市上京区近衛殿表町159) →交通アクセスのページ ②オンラインZoom 参 加:無料/事前申込み[7/28 木 正午まで] 報 告

  • 2022年度 関東・名古屋・関西交流会

    【オンライン】直前のご案内を申し訳ございません。このたび、次のとおり #歴史学研究会(#関東)・ #名古屋古代史研究会(#名古屋)・ #日本史研究会(#関西)の三つの歴史学会がオンラインで交流会ひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいませ。 →歴史学研究会について →名古屋古代史研究会について →日本史研究会について 2022年度 関東・名古屋・関西交流会 日 時:2022年8月6日(土)13:00~16:20(開場12:45~) 会 場:オンラインZoom 参 加:無料/事前申し込み[8/4 木まで]/先着順 その他:リモート飲み会があります 報 告:① 今村  凌(日本史研究会・京都大学) 「惣返抄の成立と変質」 ② 佐藤 亮介(歴史学研究会・國學院大学) 「宇多~村上期における行幸の展開」 ③浅岡 悦子(名古屋古代史研究会・名古屋市立大学) 「『釈日本紀』の写本系統と伝来」

  • 出雲国風土記百景(第5景)

    第5景 神奈備野二態 新年あけましておめでとうございます。 謹んでお喜び申し上げます。 旧年中は2年ぶりに大会をひらくことができ、誠にありがとうございました。引き続き希望する誰もが研究ができる会となるよう努めますので、本年も変わらぬご愛顧のほどなにとぞよろしくお願い申し上げます。 代表  平石充 元旦ということで朝日の写真を、と思ってみたが典型的な日の出写真はなく、カンナビ山の写真を選ばせていただいた。 (2016年12月3日撮影) 出雲や山陰地方に特徴的に分布するとされる神奈備山(野) そのもっとも中心的な存在がこの意宇郡の神奈備野である。 この山は東西南北が他の山に連続しない独立丘で、特に宍道湖北岸からは、二等辺三角形のいわゆるカンナビ型にえる山である。 (写真は松江市朝日ヶ丘付近から撮影したもの) (2013年6月25日撮影) こちらは、松江市大庭町北原の馬橋川沿いから撮影したもの。 出雲最大の後期古墳がある山代古墳群のある水系の上流部で、この谷は広く深く、西は忌部町との境が分水嶺となっており、ここがこの古墳群を造営した集団の直接の基盤であろう。 現在、国道432号線バイパスによって景観が大きく様変わりしており、このような景色がいつまで見られるかわからない。「写真に資料的価値はありません」といえなくなる日が来るのかもしれない。 ※毎週土曜日に更新中。 ・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。 ・写真の無断転用はお断りします。

  • 企画展「備えあれば憂いなし!山陰の自然災害」

    ちかごろ豪雨や地震など自然災害に関心が集まるようになりました。歴史学においても災害史や環境史が注目されているところです。このたび島根大学総合博物館は、連続講座につづき次の企画展もひらくことになりました。災害はいつでもおこります。こうした災害を知ることにより被害を軽くすることもできるでしょう。感染予防をとったうえでぜひお運びくださいませ。 企画展 備えあれば憂いなし!山陰の自然災害 期 間:2022年7月23日(土)~9月10日(土)日曜・祝日・8/13(土)・8/15(月)休 時 間:10:00~17:00 場 所:島根大学総合博物館(島根県松江市西川津町1060 島根大学松江キャンパス 生物資源科学部3号館) →交通アクセスのページ 入館料:無料 令和4年度アシカル講座第1ステージ 学びあれば憂いなし!山陰の自然災害

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