Izumo ancient history studies group
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「」に対する検索結果が683件見つかりました
- 歴研大会準備報告会 2024-12
#歴史学研究会 (#東京)は、日本最大手の学会の一つです。このたび、次のとおり第1回大会準備報告会を対面でひらくことになりました。年度末のご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。 → 歴史学研究会について → 会誌『歴史学研究』 歴史学研究会 日本古代史部会 第1回 大会準備報告会 日 時:2024年12月14日(土)15:00~(開場14:30) 会 場: 早稲田大学 戸山キャンパス 32号館1階128教室 (東京都新宿区戸山1丁目24-1) → 交通アクセスのページ 参 加:300円(資料代など)/ 事前申込み [12/12 木まで] 報 告: 井上 正望 「仮)古代・中世移行期における天皇と空間」
- ガイド養成講座 2024-12
#島根県立八雲立つ風土記の丘( #松江市 )は、今年度の2024年度も #ガイド養成講座 をひらいているところです。感染予防をとったうえでなにとぞご参加くださいませ。 令和6年度 第6回ガイド養成講座 ガラス製玉類の流通と弥生墳丘墓 日 時:2024年12月14日(土)14:00~16:00 場 所: 島根県立八雲立つ風土記の丘 ガイダンス棟 (島根県松江市大庭町456) → 交通アクセスのページ 講 師: 大賀克彦 ( 奈良女子大学 大和・紀伊半島学研究所 古代学・聖地学研究センター ) 参加費:資料代200円/事前申込み不要/先着50名 対 象:年齢をとわず風土記の丘周辺で活動可能な方 講座終了後に出雲國まほろばガイドの会の一員として活動できる方
- 大阪歴史学会 例会 2024-12
#大阪歴史学会 (#大阪)は、日本最大手の学会の一つです。このたび、以下のとおり例会をひらくことになりました。オンライン開催ですので、ご都合がつきそうな方はご参加をなにとぞよろしくお願いいたします。 → 大阪歴史学会について → 会誌『ヒストリア』 大阪歴史学会 日本古代史部会(続日本紀研究会) 12月例会 日 時:2024年12月6日(金)18:30~21:00 参 加:無料/ 事前申込み [12/5 木まで] 報 告:鷺森 浩幸 「古代における高級織物(錦綾)生産体制の変遷」 その他:終了後、オンライン懇親会
- 史料紹介 明日香村西橘遺跡出土の「八雲評」木簡について
今年の春に奈良県明日香村教育委員会から、西橘(にしたちばな)遺跡の報告書が刊行された。同報告書には270点の木簡が掲載されており、その中にここで紹介する「八雲評」と判読される荷札木簡がある。同報告書は奈良文化財研究所の『全国遺跡調査総覧』にてPDF公開がされている。詳細はそちらを参照いただきたい(以下の事実記載も報告書による)。 この遺跡は現在の明日香村役場に当たり、木簡は東側調査区の谷SX3041から出土した。この谷は出土土器の様相から660年ごろに埋められ整地されたとみられ、木簡群も評-五十戸制・いわゆる前期評に相当しており、土器の年代観と大きな矛盾はない。この時期は天智朝にあたり、前期評でも古い木簡である。木簡出土地区の発掘調査は1993年で、その後故橋本義則氏が釈読に当たったが、氏の逝去により、あらためて平成31年~令和3年にかけて、山本崇氏・藤間温子氏・東野治之氏・寺崎保広氏・鶴見泰寿氏を招聘して再検討が行われた。報告書はその検討成果を掲載している(報告書の文責は山本崇氏)。 木簡群は本質的には橘寺との関係を含め多様な検討課題を持っているが、出雲古代史研究に携わるものとしてまず気になるのは、表題に挙げた「八雲評」の荷札木簡である。報告書の正確な釈文は「□〔八〕ヵ雲評」で、冒頭の文字は推定を含む、という評価だが、写真からだけで判断すると「八」でよいように見える。現物観察の必要があるが、以下は報告書の釈文を前提として話を進める。 木簡には1点ごとに解説がつけられており、問題の史料は木簡41である。 解説全文を掲げると「四周削り。ヒノキ科・板目。綿の荷札。「八雲立つ」(『古事記』神代紀第八段)・「八雲さす」(『万葉集』巻3-430番歌)のごとく八雲は出雲にかかる枕詞として著名であるが、「八雲評」は不詳。養老雑令によると、綿は小斤で計量する(2度地条)。平城宮跡出土木簡のうち養老2年(718)以降の調綿荷札は4両=1屯としており、主計式上も同じ(2諸国調条)。「綿14斤」は約3.15kg。E4区Ⅳ層下層(灰黒色有機土)出土」。以下、雑感をいくつか述べてみたい。 (1)「八雲評」はどこの評か …管見の限り、古代史料に見える行政区画名・地名・神社名などに「八雲」はみえない(出雲国内にもない。長岡京木簡には人名に「八雲」がある)。現在は全国に八雲地名・八雲神社があるが、これらは祇園信仰の展開によるものとみられ、あまり参考にはならないだろう。新出の評名であるが、報告書が述べるように、「八雲」はやはり出雲の枕詞として著名な語であり、まずは出雲と関係から検討するというのは妥当である。 さて、出雲の評についての確実な一次史料としては木簡があるが、荷札木簡はすべていわゆる後期評(藤原宮出土。694年~)に属しており、前期評のものはない。楯縫評・出雲評(確実に「出雲」である)・神門評が確認される。他に出雲国府出土木簡に大原評がみえるがこれも正方位の溝から出土しており、後期評段階のもので良いだろう。また編纂史料では『日本書紀』斉明天皇5(659)年是歳条年に「出雲国造 名を闕く」「於宇郡」、『続日本紀』文武天皇2(698)年3月己巳条に意宇郡司が見える。前者はともかく、後者は確実に意宇評とみてよく、後期評段階には意宇評も存在していた。また『国造北島氏系譜』など出雲国造系図の最古部分は信憑性が高いとされるが〔高島1995〕、ここには国造叡屋臣の注として「帯許(評)督」の記載があり、これを信頼すれば国造本宗が評督となる評があったことになる(他の国造も評督・郡司だった者が多いと推測されるが注記はなく、彼は特別な評督、いわゆる初代立評人の可能性もある)。また、斉明紀にみえる「出雲国造 闕名」は史実に基づく記述とみる説が有力であるが、氏族名は不明で、これをもってこの段階に出雲国造出雲臣が成立していたとまで言い切れるかは難しい。 また、荷札木簡については出雲に限らず国毎に特色があり、時代を超えて連続しているとの指摘がある(有名な事例は隠岐の荷札木簡)。評制下の荷札木簡は原則国名表記がないが(国制がいつ成立したかも検討課題である)、のちの同一令制国内の評の荷札が共通する書式を有しているのである。山陰の荷札木簡の特色については8世紀のものもふくめて渡辺晃宏氏が整理しているが〔渡辺2015〕、出雲については①長さ幅は中程度であまり特徴がない、②オモテのみに1行書きが原則。③天平期から2行書きがみえる、④材はヒノキが多いが杉もある。板目が多い。とされる。当木簡は①・④は適合するが、裏面に記載がおよんでいる。また、キリコミ部と文字の関係については渡辺氏は中男作物は端部から書き始めているが贄木簡については文字がキリコミにかからないと述べている。別図のよう評制荷札に限ってみるといずれもキリコミ部に文字はかからず、これも当木簡に該当する。 次に物品名の綿であるが、『延喜式』主計寮上出雲国条では同国の庸に綿がみえるほか、木工寮式の諸国所進雑物にも出雲国の綿があり、出雲国の進上品として十分想定されるものである。 現状での私見は、特徴からもちろん当木簡を出雲の荷札と断定できないが、出雲の荷札と考えてもよいのではないか(出雲の荷札は著しい特徴がないとされるので他地域の荷札でもかまわない)。他地域の評である場合は、出雲との特別な関係が想定される小地域(後の郷に相当)の評で後に消滅した評であろうか(小地名「出雲」や出雲神社のような事例。山背国愛宕郡出雲郷、各地の式内社出雲神社の例など)。 (2)『出雲国風土記』(以下『風土記』)の国号由来 …『風土記』は当然出雲国号を説明している、と考えがちだが、沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉氏による山川出版『風土記』は、国号由来のテキスト(11、細川家本の行数)を「所以芳雲者」=「芳雲(よくも)といふゆえは(いふを補読)」とし、結果として「芳雲」案を提示している。たしかに底本である細川家本(細本)の文字は「芳雲」にみえる。しかし、これは同写本にみえる独特の書クセでありこの文字は「号」と読むべきである。すなわち神門郡の郡名起源「所以号神門」もこの「芳」が使われているが(650)、ここが「芳」である可能性はない。現状、細本は「所以号雲者」(「出」が欠けることに注意)と釈文を起こすべきであろう。 ※細川家本と字体が酷似する倉野本『風土記』が国文学研究資料館の国書データベースで公開されており、上記写本の用字の特色を確認できる。 上説に従うと細本テキストは「所以号雲者、八束水臣津野命詔、八雲立」となる。これを忠実に読めば「雲」は「八雲立」に由来する、となる。 もっとも、つづいて本文は「故、八雲立出雲」と記されており、『釈日本紀』(『釈紀』)所引の『風土記』、蓬左文庫本『風土記』は該当部分をはっきり「所以号出雲」(つまり、「出」の字がある)としている。なお、蓬左文庫本は『釈日本紀』の影響を受けていないので、「号出雲」は細本には伝わらなかった原本の情報である可能性がある。また、常識的にも天平期の『風土記』として、当時の国号「出雲」の説明であるべきである。私見もやはり原本は国号出雲の説明であったとは思うが、終わりが「八雲」で終わっている点は、以前から細本『風土記』を読んでいて「?」と感じる箇所であった(もっとも、『風土記』にはこのような説話構成上の不整合はしばしば見られる)。このあとの、13「八雲立出雲」を最上段とする細本の改行も、何時の時代の書式かは不明だが特殊といえば特殊である。 地名起源伝承ではその地名の発音が説明中に入るのが一般的である。この原則に基づいてか、橋本雅之氏執筆の角川ソフィア文庫版『風土記』の『出雲国風土記』は国号由来のテキストを「所以八雲者」とする(特に「八雲」としたことについての註などはない)。写本の情報を第一義として古代の『風土記』を復元する立場からは、やはりこの釈文は考えづらい。ただし、「所以号出雲」を含む蓬左文庫本のテキストのうち細川家本と異なる箇所については、近世の「校正」を経ているとの指摘もあり(高橋2020)、『釈紀』の引用テキストの信頼性も検討の余地がないわけではない。 木簡の年代は660年代以前、天智朝と考えられ、当然ながら、記・紀編纂以前であり、それらの歴史解釈に引き寄せられている8世紀の地名・地名由来から、距離を置いた史料ということなる。この木簡を出雲地域の評の荷札とみると、編纂史料を除いた一次史料では「出雲」地名より「八雲」地名が先行して確認できることになる(出雲の一次史料初出は壬辰(692)年の鰐淵寺観音菩薩立像)。また、国造氏については意宇郡の豪族が出雲臣を名乗ることもかつてから問題視されていた。『日本書紀』仁徳即位前紀では淤宇宿禰とみえるから、いずれかの段階でオウからイヅモに改姓したことになる。ただし、『日本書紀』の影響を受けない郡里制下の風土記である『播磨国風土記』にはすでに出雲臣がみえるから、この氏族名は8世紀初頭の地域社会でよく知られた氏族とみられる。 やや大げさかもしれないが、記・紀と異なるとされる『風土記』の「八雲立つ」理解、『風土記』の記す伝承とは何時の頃のものか?などにも関わる可能性がある史料である。 (3)初期評の存在形態 …繰り返しになるがこの木簡群は660年代となる、評制の中でも極めて古い木簡群であり、ごく初期の評制を知るうえでも重要である。 木簡群中に明瞭な荷札木簡は少ないが、もう一点の評の荷札木簡がこれも新出の「鎮評」である。報告書の解説によれば、チヌ(茅渟・血沼)の可能性があるされるが、蓋然性はあるだろう。茅渟は宮・アガタ・ミヤケ名で著名だが郡名に継承されず、国郡制では和泉国和泉郡となった。『続日本紀』霊亀2年3月癸卯条では、和泉郡・日野郡が珍努宮に附属させられているので、宮(アガタ・ミヤケ)に附属する領域は和泉郡より広かったと考えられる。上記の推定に基づけば、チヌ評はのちに分割され、イズミとなり、この新コオリ名が国名と共有されている事例となる。 すでに荒井秀規氏によって指摘のあるように、初期の評には律令の郡をはるかにしのぐ大規模なものが存在し(改新詔では40里の郡が想定されている。国造国そのものの可能性がある)、後に分割されていったと考えられる。「鎮評」もこのような事例に加えられるものとなるか。「八雲評」のテキストがこれでよければ、コオリ名の変更と郡名への非継承も、「鎮評」同様に解釈出来る可能性があるだろう。 現状では数点の木簡で想定されるテキストの議論であるので、ここまでの話はいわゆる「思いつき」の域をでないものである。また、本来、現物の確認や、木簡群全体の評価や類例の増加を待って検討すべきことと思うが、やはり本木簡はいろいろと可能性を検討したくなる、きわめて重要な一次史料である。すでに正報告が刊行され、各種の付帯情報は整理され確定し、公開されている。だれでも発掘調査報告書総覧よりダウンロードできるので、会員のみなさまにおかれましては是非一読し、この木簡について一考してみてください。 ◆参考文献 山本崇2024「木簡」(明日香村教育委員会2024『西橘遺跡発掘調査報告書』) 荒井秀規2008「領域区画としての国・評(郡)・里(郷)」『古代地方行政単位の成立と在地社会』奈良文化財研究所 髙橋周2020「近世前期における『出雲国風土記』写本の系譜」『古代文化研究』28 渡辺晃宏2015「都城出土の出雲・伯耆・因幡地域の荷札木簡」『木簡研究』37 ※この記事は会員ブログであり、書かれている内容は出雲古代史研究会の見解ではありません。 ※木簡写真は明日香村教育委員会の掲載許諾を得ています。不許可転載。 ※11月20日に誤字を訂正、また写真を入れ替えました。
- 日本史研究会 古代史部会 2024-12
#日本史研究会 ( #京都 )は、日本最大手の学会の一つです。このたび、次のとおり部会をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいませ。 → 日本史研究会について → 会誌『日本史研究』 日本史研究会 古代史部会 日 時:2024年12月8日(日)15:00~17:30 [ご注意] 通常と曜日・時間が異なります 会 場:①機関紙会館2F(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町) ②オンラインZoom 報 告:榎村 寛之 「近年の古代祭祀「史」研究の動向について私が感じていること -伊勢神宮と大嘗祭を中心に-」 参 加: 申込みフォーム [12/7 土 正午まで]/対面参加は事前申込み不要
- ガイド養成講座 2024-11
#島根県立八雲立つ風土記の丘( #松江市 )は、今年度の2024年度も #ガイド養成講座 をひらいているところです。感染予防をとったうえでなにとぞご参加くださいませ。 令和6年度 第5回ガイド養成講座 古代出雲の渡来人と「倭の五王の時代」 -韓半島系土器を中心に- 日 時:2024年11月9日(土)14:00~16:00 場 所: 島根県立八雲立つ風土記の丘 ガイダンス棟 (島根県松江市大庭町456) → 交通アクセスのページ 講 師: 中久保辰夫 (京都橘大学文学部) 参加費:資料代200円/事前申込み不要/先着50名 対 象:年齢をとわず風土記の丘周辺で活動可能な方 講座終了後に出雲國まほろばガイドの会の一員として活動できる方
- 企画展「突撃!弥生人の食卓」
#荒神谷博物館(#島根県出雲市斐川町)は、大量の青銅器が発見された、 #荒神谷遺跡 を紹介するためにつくられた博物館です。このたび次の企画展をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞお運びくださいませ。 → 荒神谷遺跡について 企画展 突撃!弥生人の食卓 期 間:2024年11月2日(土)~2025年2月9日(月)火曜休・年末年始休 時 間:午前09:00~17:00(入館は16:30まで) 会 場: 荒神谷博物館 (島根県出雲市斐川町神庭873-8) → 交通アクセスのページ 入館料:一般 420円/高大学生 210円/小中学生 110円 関連講座① 突撃!弥生人の食卓 日 時:2024年11月23日(土)13:00~16:00 会 場: 荒神谷博物館 交流学習室 (島根県出雲市斐川町神庭873-8) → 交通アクセスのページ 講 師:柏谷 実加(荒神谷博物館 職員) 参 加:300円(資料代)/事前申込み 申込み:①TEL:0853-72-9044 ②FAX:853-72-7695 ③ お問合せフォーム 関連講座② 弥生時代の捕鯨 日 時:2024年12月21日(土)13:30~15:00 会 場:① 荒神谷博物館 交流学習室 (島根県出雲市斐川町神庭873-8) → 交通アクセスのページ ②オンライン 講 師:内田 律雄(海洋考古学会 会長) 参 加:300円(資料代)/事前申込み 申込み:①TEL:0853-72-9044 ②FAX:853-72-7695 ③ お問合せフォーム 関連講座③ 西川津遺跡の出土品を整理してみた! 日 時:2024年1月25日(土)13:00~16:00 会 場:① 荒神谷博物館 交流学習室 (島根県出雲市斐川町神庭873-8) → 交通アクセスのページ ②オンライン 講 師:深田 浩(島根県立古代出雲歴史博物館 主幹) 参 加:300円(資料代)/事前申込み 申込み:①TEL:0853-72-9044 ②FAX:853-72-7695 ③ お問合せフォーム
- 松江市記念講座「研究史の中の山代・大庭古墳群」
今年の2024年は、山代二子塚古墳・大庭鶏塚古墳が国史跡に指定されて100年めにあたります。そこで #島根県立八雲立つ風土記の丘( #松江市 )は、2つの古墳の記念講座をひらくことになりました。感染予防をとったうえでなにとぞご参加くださいませ。 山代二子塚古墳・大庭鶏塚古墳国史跡指定100周年記念講座 研究史の中の山代・大庭古墳群 日 時:2024年12月8日(日)10:00~11:30 場 所: 島根県立八雲立つ風土記の丘 ガイダンス棟 (島根県松江市大庭町456) → 交通アクセスのページ 講 師: 渡邊 貞幸 (島根大学名誉教授) 参加費:無料/事前申込み不要/先着60名
- 『播磨国風土記』の魅力を世界に発信する国際学術シンポジウム
#兵庫県立歴史博物館( #兵庫県姫路市)は、五国ひょうごの歴史や姫路城などを学べる博物館です。このたび、ひょうご歴史研究室の開設10周年記念として『 #播磨国風土記』の魅力を世界に発信する国際学術シンポジウムをひらくことになりました。 当会の会員も出雲国風土記について報告します。 ぜひご参加くださいませ。 → 科学研究費・基盤(C)「現地調査を踏まえた「利他行」の思想と地方寺院の立地場所に関する共同研究 兵庫県立歴史博物館ひょうご歴史研究室10周年記念・科研費調査研究集会 『播磨国風土記』の魅力を 世界に発信する国際学術シンポジウム 日 時:2024年12月1日(日)11:00~15:30 会 場:① 神戸大学大学院人文学研究科・学生ホール (兵庫県神戸市灘区六甲台町1-1) → 交通アクセスのページ ②オンラインZoom 参 加:無料/ 事前申込み [10/11 金 - 11/28 木]/対面30名 | オンライン100名 言 語:日本語 その他:対面参加の方は昼食を各自でご用意ください 坂江 渉 ( ひょうご歴史研究室 研究コーディネーター・科研代表者 ) 「歴史学からみたパーマー氏の口承文芸論 -『播磨国風土記』研究の新潮流-」 当会の会員です アンデス・カールキビスト (岩手大学国際教育センター) 『風土記』研究の世界的広がり -『出雲国風土記』と『播磨国風土記』を中心に-」 ポール・ブラザートン(神戸大学大学院人文学研究科大学院生) 「パーマー氏による英語版『「播磨国風土記」の古代史』と 周辺国の古代史について」 エドウィーナ・パーマーのリプライコメント (オンライン参加) 《参 考》 兵庫県立考古博物館 > 英語版『「播磨国風土記」の古代史』完成のお知らせ(2024年5月17日) 坂江渉 「 『播磨国風土記』研究の新潮流 : エドウィーナ・パーマー氏の口承文芸論 」(『 地方史研究 』74-4、2024年8月、 地方史研究協議会 ) 『 出雲古代史研究 』19,20,22,23,25,33,34( 出雲古代史研究会 )
- 日本史研究会 古代史部会 2024-11
#日本史研究会 (#京都 )は、日本最大手の学会の一つです。このたび、次のとおり部会をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいませ。 → 日本史研究会について → 会誌『日本史研究』 日本史研究会 古代史部会 日 時:2024年11月18日(月)18:30~21:00 会 場:①機関紙会館2F(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町) ②オンラインZoom 報 告: 前野 智哉 「『延喜式』巻一の標注 -「弘」「貞」等の新出標注に関する考察-」 参 加: 申込みフォーム [11/17 日 正午まで] 日本史研究会 古代史部会 大会共同研究報告反省会 日 時:2024年11月25日(月)18:30~21:00 会 場:①機関紙会館2F(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町) ②オンラインZoom 報 告:鮎川 礼 参 加: 申込みフォーム [11/24 日 正午まで]
- 公募)国立歴史民俗博物館-2024年度
#人間文化研究機構国立歴史民俗博物館( #千葉県佐倉市)は、このたび次のとおり、 #日本古代史 の教員を公募します。 JREC-IN Portal > 求人公募情報閲覧 准教授相当 博士の学位を取得した者、または同等の研究能力を有する者 (12/20 金まで) 教員公募要項(日本古代史)
- 八幡鹿島山古墳出土「船が線刻された埴輪」
八幡鹿島山古墳(島根県松江市八幡町)は、竹矢公民館の敷地にある5世紀の古墳です。松江市は、公民館の建て替え工事の際に2024年6月~8月にかけて発掘調査を行いました。遺物を整理したところ、島根県で初めて「船が線刻された埴輪」が確認され、一般に公開しています。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご覧くださいませ。 → 県内初! 八幡鹿島山古墳で「船が描かれた埴輪」が出土 八幡鹿島山古墳出土「船が線刻された埴輪」初公開 期 間:2024年10月26日(土)~11月28日(木) 時 間:3月~10月 09:00~19:00 11月~2月 09:00~18:00 会 場: 松江市立中央図書館 (島根県松江市西津田6丁目5-44) → 交通アクセスのページ 入館料:無料
- 出雲古代史研究会の思い出 第2回
若槻真治 一方、研究会発足より前に、正式名称は忘れたが、島根県教育委員会では “ 古代文化センター構想 ” が動き始めていた。これも 荒神谷発見 に端を発し、のちの 古代出雲歴史博物館 建設につながるものであったが、民間主導による研究会設立の動きと行政による古代文化研究推進の動きが、期せずして同時に動いていたことになる。「期せずして」と書いたが、両者が水面下でつながっていたかいなかったか、実態は知らない。ただ私の印象では別々の動きである。荒神谷の衝撃がそれだけ大きかったということではないだろうか。 古代文化センター は1992年に設立された。当初は体制も十分だったわけではないが、専門職員の採用も始まり、このことは出雲古代史研究会にとっても影響は大きかった。また1997年には 島根大学 に 大日方克己 先生が赴任され、古代史の研究室が初めてできた。 その前年の1996年には 加茂岩倉遺跡 で大量の銅鐸が発見されて、改めて出雲古代史が注目されるようになった。これらの「追い風」によって、出雲古代史研究会が東京のメンバーに “ おんぶにだっこ ” の状態から、より自律的な研究会へと徐々に変化したように感じている。私の会計任務もこのころ終了した。 個人的な思い出としては、若くしてお亡くなりになった小林覚さんと、私も好きだった折口信夫などを肴にして飲み会の席で楽しくおしゃべりしたことが忘れられない。また会誌の裏表紙を見ていただくとわかるが、『 出雲古代史研究 第3号 』くらいから「しまね文化ファンド」のマークが印刷されている。 私は会計をしていたが、発足当時は会員も少なく、翌年度会誌の売り上げで前年度の印刷費を支払うような自転車操業であった。会誌の印刷代がどうしても滞ってしまう。そこで外部資金の導入を図り、立ち上がったばかりの研究会の経費負担をどうにかして軽くしようとした。私が出雲古代史研究会に貢献したのは唯一このことであろう。 私は学術的な側面では研究会の役に立っていない。大会報告も会誌の「 第7・8合併号 」に掲載してもらった「聖性とは何か」の1本だけである。こうした概念的・理論的な追及が、出雲古代史に具体化すればよかったのだが、とうとうそれはできなかった。 年齢を重ねることで、私は自分の古代史研究が概念的で理論的なものにとどまることを自覚するようになった。自分が「出雲」を論じることはないと思うようになった。時間が足りなかった。と同時に、退職を機にかかわることになった 石見銀山研究会 と、 戦後史会議・松江 という近現代史を中心とした市民グループの活動に時間を割くことになった。島根県内で古代史を研究する人の数も増え、研究会発足当時の手薄だった体制も大幅に充実した。 あれやこれやで、私は出雲古代史研究会を退会させていただくことにした。退会したものがこのような文章を書かせていただいて申し訳ありませんでした。出雲古代史研究会が文献史学を中心にして、考古学や民俗学などとも共同しながら、今後ますます活発な議論を続けられることを心から願っています。(了) ※今まで若槻真治「出雲古代史研究会の思い出」をご覧くださり、ありがとうございました。
- 大阪歴史学会 例会 2024-11
#大阪歴史学会 (#大阪)は、日本最大手の学会の一つです。このたび、以下のとおり例会をひらくことになりました。オンライン開催ですので、ご都合がつきそうな方はご参加をなにとぞよろしくお願いいたします。 → 大阪歴史学会について → 会誌『ヒストリア』 大阪歴史学会 日本古代史部会(続日本紀研究会) 11月例会 日 時:2024年11月1日(金)18:30~21:00 参 加:無料/ 事前申込み [10/31 木まで] 報 告:ブラザートン・ポール 「国家形成期における旦波と倭王権との政治的関係」 修士論文準備報告 その他:終了後、オンライン懇親会の予定 日 時:2024年11月22日(金)18:30~21:00 参 加:無料/ 事前申込み [11/21 木まで] 報 告:落合 達哉 「日本律令における贖と「聴」字の意味」 修士論文準備報告 その他:終了後、オンライン懇親会の予定 日 時:2024年11月29日(金)18:30~21:00 参 加:無料/ 事前申込み [11/28 木まで] 報 告:竹内 舜典 「九世紀前後の瀬戸内海地域支配と紀氏・大伴氏」 修士論文準備報告 その他:終了後、オンライン懇親会の予定
- 出雲古代史研究会の思い出 第1回
若槻真治 出雲古代史研究会の成り立ちについては、すでに 松本岩雄さん(2022年5月1日) 、 菊池照夫さん(2023年4月13日) 、 野々村安浩さん(2023年12月1日) 、最近では 井上寛司先生(2024年8月1日) がこのブログでお書きになっているとおりである。 『出雲国風土記』や「出雲神話」「出雲大社」で広く知られていた" 出雲 ”であったが、研究は考古学が中心であり、文献史学は低迷していて、島根大学にも古代史を専門にする教官や研究室もなかったし、もちろん“ 出雲古代史 ”を正面に掲げた全国的な研究会は存在していなかった。 ところが1984年に 荒神谷遺跡 で大量の銅剣が、そして翌年にはこともあろうに銅鐸や銅矛も発見されて、まさに天と地がひっくり返るような衝撃を全国に与えた。そこで1987年7月に古代史サマーセミナーを松江で開催することになり、それが発端で1990年初頭から準備を始め、同年7月28日に、「文献を中心として出雲古代史を研究する」(『出雲古代史研究創刊号』)出雲古代研究会の、記念すべき設立大会を開催した。大まかに言うとこういう流れであった。 私が島根県庁に就職したのが1984年である。最初の仕事は、浜田土木事務所で“ 58災(昭和58年度災害) ”という、130名以上の犠牲者を出した未曽有の豪雨災害の復旧事務をすることであった(36協定の適用からも除外され、月100時間以上の残業が常態化していた)。荒神谷での銅剣・銅鐸・銅矛発見のニュースとその後のフィーバーを、私は遠い浜田で呆然と見ていた。 その後1987年4月の異動で文化財課に転勤になり、そうしているうちに、松本さんからだったか内田律雄さんからだったか忘れたが、今度松江で古代史サマーセミナーをやるから手伝ってくれと誘われ、会計を任された。古代史サマーセミナーのことは知っていたが、参加したのはこれが初めてだったように思う。ともかく、古代史の最前線で活躍されていた研究者の方たちが松江に大勢集まられたことが新鮮だった。 そして東京の故関和彦さんや 瀧音能之 さん、島根の 井上先生 や内田さんが中心となって「出雲古代史研究会」を設立することになり、考古学と比べて段違いに層が薄い島根県古代文献史学では、私のようなものまで島根側の運営委員になった。 ともかく若手(当時)では野々村さんと私だけのような感じで(これ自体驚きであったが)、野々村さんはともかく、半人前もいいところの私は場違いだなあと感じつつもお手伝いをすることになり、古代史サマーセミナーの続きで、研究会の会計をやることになった。 運営に関していえば、ともかく最初のころは東京の皆さんに“ おんぶにだっこ ”だったように思う。当時の大会報告者を見るまでもなく、研究会の中心は明らかに東京にあった。関さんをはじめとする東京の運営委員の皆さんには、お世話になったなあと今更ながら感じている。 →2024年11月1日(金)につづきます