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「」に対する検索結果が683件見つかりました

  • 2023年度 歴史学入門講座

    #歴史学入門講座(#大阪)は、歴史学を学びたい方のために、歴史学で第一線の研究者をお招きし、歴史学のあり方や、研究方法などのお話をしていただくというイベントです。今年の歴史学入門講座は、次のとおりひらくことになりました。これから歴史学を学びたい方には大変、おすすめです。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいませ。 →歴史学入門講座について 2023年度 歴史学入門講座 日 時:2023年7月9日(日)13:30~16:30 会 場:大阪歴史博物館 4階講堂(大阪府大阪市中央区大手前4丁目1−32) →交通アクセスのページ 参 加:500円 | 学生300円/事前申込み不要/定員250名 報 告:平川南 「出土文字から新しい古代史の構築」

  • 出雲国風土記百景(第35景)

    【佐比売山 さひめやま】 【2015年5月21日撮影】 『風土記』に見える佐比売山は、現在の三瓶(さんべ)山(最高峰の男三瓶が標高1125.8m)である。この山はいわゆる国引き神話(56)と、飯石郡の山(776)にみえ、ともに「石見(国)と出雲(国)の堺」と表現されている。写真は島根半島の西端に近い、出雲市大社町杵築西の奉納山から望んだもので、薗の長浜がみえる。国引き神話では、新羅から引き寄せた杵築の御崎をつなぎとめた杭が三瓶山で、その時引いた綱が薗長浜とされる。まさに『風土記』の国引き神話を体感することのできる場所で、現在は自動車で山頂に上がることができる(山頂に駐車場あり)ので、ぜひ訪ねてほしい。 さて、三瓶山は御覧の通りの独立峰で、非常に目立つ。ただし、『風土記』を見ても出雲国内には佐比売山神社はなく、『延喜式』神名下の石見国を見るとこの山に当たると思われる安農郡(今の大田市)に佐毘売山神社があるほか、遠く離れた美濃郡(今の益田市)にも佐毘売山神社がある。 富士山が静岡なのか山梨なのかではないが、佐比売山の神は、出雲より石見国内で広く信仰されたとみられる。この理由はまあいろいろあると思われるが、出雲西部の主要河川である神門川の主水源は飯石郡の琴引山で、出雲国内では三瓶山を水源としている地域は極めて限られている。 これに対し安農郡、迩摩郡東部の主要河川となる三瓶川・静間川の水源がこの三瓶山であり、のちに一宮とされる物部神社も静間川の用水地点に位置しているなど、この山を水源としている人々は圧倒的に石見国にに多かったこともその理由の一つではないだろうか。                                   (平石 充) ※次回の投稿は5月20日(土)です。

  • 募集)松江市職員-2023年度

    島根県松江市が、令和5年度(2023年度)の文化財専門職(埋蔵文化財・民俗・建造物・文献史学)などの職員募集を次のとおり行います。令和5年度(2023年度)より紙の申込みを廃止しました。皆さまからのふるってのご応募をお待ち申し上げます。 松江市 > 行政情報 > 職員採用 > 正規職員 > 職員採用試験 > 職員採用試験【前期日程】 (5/15 月 まで)受験案内【令和5年前期】 (PDFファイル: 3.9MB) (5/15 月 まで)受験申込手続き(しまね電子申請サービス)

  • 出雲国風土記百景(第34景)

    【神門郡の池】 出雲国風土記には多数の池が記載されている。どれも規模が大きく(多くが周り1里以上)、その造営には一定の労働力の投下があったとみられる。すでにいろいろな研究があるが、仁木聡氏などは、今日触れる神門郡の池をはじめとして王権の関与による大規模造営などを想定する。また、近世まで用水確保の難しかった地域(=現代までため池が多い地域)に記述が多いとの理解もある。 『風土記』の池であるが、これも推定の難しいもののひとつで、その理由は郡家からの方位里程がない、池の固有名称が郷名などと重ならないことによるが、神門郡の池は遺称地名を含め比較的明確に分かっている。その一つが宇賀池(宇加池)である。 【宇賀池の堤体 2019年11月29日撮影】 この池は『風土記』神門郡713に「宇加池 周り三里六十歩」とみえ、全池の中で最大の規模を誇っている。また同郡古志郷条(666)にみえる古志の人が日渕川に作った池と推定されている。現在も地図の赤い部分に堤体が残っており、ここをせき止めることで、谷奥に大きな池を構築することができる(国土地理院の航空写真などを見ると、点線部分も堤体であったことがわかる)。現在は谷奥の小さな池になっているが、これは近世に神門川から十間川用水が引かれることによって、用水池としての機能が縮小したためである。 同様の池は、規模こそ違え大和国益田池・河内国狭山池などにもみられる。 さて、この宇賀池の堤体がいつ構築されたのかは、明確でないが(仁木氏は欽明朝とみる)、明確な事例もある。それが同じく神門郡の日置郷に築かれた池である。 【三田谷の築堤箇所 2016年1月20日撮影】 三田谷は斐伊川放水路によって地形が一変しているが、この辺りには旧地形が残る。堤体は写真中の谷が狭くなっている場所で、この道路建設に伴う発掘調査で確認されれた。 これは、木簡の出土や泉の祭祀で知られる三田谷遺跡の谷の一番狭隘な部分を石を用いて築堤した池であり、築堤時期は12世紀ごろとされる。時期はだいぶん異なるが、神門郡域で谷をせき止める形の池が作られたことを示す事例といえるだろう。(平石 充) 【参考文献】仁木聡2019「『出雲国風土記』神門郡条の池と大念寺古墳の時代」『大阪府立狭山池博物館研究報告』10 ※次回の更新は5月6日土曜日です

  • 古代出雲を学ぶ~おススメ書籍紹介(2)~

    委員 吉松大志 みなさんこんにちは。出雲古代史研究会委員の吉松です。 出雲の古代史をさまざまな角度から学べる本をおススメするブログ 第2回目は出雲古代史の古典とされる名著をご紹介します。 門脇禎二著 『出雲の古代史』 (日本放送出版協会、1976年、B6判、262ページ) 古墳時代の日本列島には各地の国王が治める国家が存在したとする「地域国家論」で知られる門脇禎二(ていじ)氏による、「出雲国家史」をまとめた一書です。 門脇氏の専門は文献古代史ですが、歴史資料だけでなく、神話分析や考古資料を用いて出雲王国の興亡を豊かに描き出しています。しかも単に「大和対出雲」という図式だけでなく、吉備との関係や日本海交通、また朝鮮半島と出雲の関わりを織り交ぜながら叙述しており、まさに出雲古代史の「教科書」と言えます。 個人的な思い出で恐縮ですが、私が夜行バスで初めて出雲を訪れた際、旅のお供に持参したのが、古本屋でみつけたこの本でした。窓からもれる早朝の陽光の中、眠い目をこすりつつ本書をながめながら、これから訪ねる古代出雲の史跡たちへの期待に胸を膨らませていたことを今でも忘れません。 今から50年弱前の書籍ということもあり、特に古墳の捉え方については隔世の感があります。また全体の構想が「出雲敗北史観」で貫かれており、現代の歴史学の研究視角からすると「色あせた」印象は否めません。 それでも、学際的に出雲の古代史を捉えようとする研究手法は、蛸壺化・個別細分化が叫ばれる現代の我々も大いに学ぶべきものと感じます。すでに絶版となっていますが、インターネットや古書店などで安価に手に入れられますので、ぜひ一読をおすすめします。 →次回は5月末更新予定。

  • 2023年度 関東・名古屋・関西交流会

    【オンライン】直前のご案内を申し訳ございません。このたび、次のとおり #歴史学研究会(#関東)・ #名古屋古代史研究会(#名古屋)・ #日本史研究会(#関西)の三つの歴史学会がオンラインで交流会ひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいませ。 →歴史学研究会について →名古屋古代史研究会について →日本史研究会について 2023年度 関東・名古屋・関西交流会 日 時:2023年5月6日(土)13:00~16:20(開場12:45~) 会 場:オンラインZoom 参 加:無料/事前申し込み[5/4 木まで]/先着順100名 その他:リモート飲み会があります 報 告:① 櫻井  智(日本史研究会・京都大学) 「天皇即位儀における見物行為の成立と儀式空間」 ② 花畑 佳奈(歴史学研究会・國學院大学) 「皇太子の政務儀礼と後見」 ③杉江 綾乃(名古屋古代史研究会・愛知県立大学) 「院政期熊野詣の成立」

  • 古代出雲文化フォーラム9

    【全面オンライン】#島根大学(#島根県松江市)は、人文社会系の学部が減り続けるなか、山陰地域における人文社会知の一大拠点であり、『松江市史』など地域発の知を全世界へ発信するハブでもあります。 →日本歴史学協会 若手研究者問題 島根大学は、毎春の #古代出雲文化フォーラム で人気が高い #古代出雲 の最新情報をお届けしています。昨年の2020(令和2)年度 古代出雲文化フォーラムⅧでは海をこえた豪華版のうえ初めてYouTubeで動画を配信しました。今年の2021(令和3)年度 古代出雲文化フォーラムⅨも、時代をこえたテーマと動画配信も行います。 COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染状況によっては、全面オンライン開催やご来場の方を制限することもありえます。予めご理解をたまわりますようなにとぞよろしくお願い申し上げます。 →島根大学2022年2月9日【対面での開催中止】古代出雲文化フォーラムⅨ【3/5開催】の参加申込みについて 古代出雲文化フォーラムⅨ 古代出雲から中世へ ~日本海を動く人とモノ~ 日 時:2022年3月5日(土)13:30~15:45 会 場:①島根大学 松江キャンパス 大学ホール(島根県松江市西川津町1060) [2022/02/09 発表] 対面中止 ②オンライン YouTube 島根大学チャンネル Shimane University →アカウントをご登録するとお知らせが届きます [2022/03/02 発表]当日資料古代出雲文化フォーラムⅨパンフレット 当日資料古代出雲文化フォーラムⅨ資料集 参 加:無料/会場先着150名 申込み:①事前申込み[2022/1/31 月まで] ②FAX :0852-32-6630 島根大学企画広報課 「古代出雲文化フォーラムⅨ」あて ③ハガキ:〒690-8504  島根県松江市西川津町1060 島根大学企画広報課 「古代出雲文化フォーラムⅨ」あて 申込み者住所/氏名/年齢/電話番号/同伴者数 【配信開始】古代出雲文化フォーラムⅨ 古代出雲から中世へ ~日本海を動く人とモノ~ 期 間:2022年4月1日(金)~6月30日(木) その他:アンケートへのご協力をお願いいたします 報 告 吉永 壮志(島根県教育庁文化財課 企画員)「日本海を往来する海商たち」 長谷川博史(島根大学 教育学部 教授)「中世西日本海水運の展開」 守岡 正司(島根県立古代出雲歴史博物館 調整監)「日本海を動いたモノ」 《参 考》 長谷川博史『中世水運と松江-城下町形成の前史を探る-』松江市ふるさと文庫15、2013年1月、松江市歴史まちづくり部史料調査課、税込み880円 角田 徳幸『たたら製鉄の歴史』吉川弘文館、2019年、本体1800円 大日方克己『出雲に来た渤海人-東アジア世界のなかの古代山陰と日本海域-』松江市ふるさと文庫22、2019年3月、松江市歴史まちづくり部史料調査課、税込み880円

  • 「鮨鰒(すしあわび)」が伝える食文化と古代日本史

    とてもおいしく、高級な食材の一つアワビ。今でも世界のあちこちで料理に使われています。アワビはよく神饌として祭祀のお供えものになりました。色々な種類のアワビなかでも特に #隠岐 からとれるアワビが有名でしょう。 このたび、#清武雄二 さんが、10世紀に成立した法令集『延喜式』をもとにアワビの管理とレシピなどからアワビ料理の再現まで行ったアワビづくしの本をだしました。ご出版おめでとうございます。 清武雄二『アワビと古代国家』平凡社ブックレット、2021年、本体1000円 そして年明けの2月21日(月)の夜に、アワビ料理の一つアワビのなれ鮨=「鮨鰒(すしあわび)」のお話をします。古代の人びとがどのような食事をとっていたのかお聞きしてみませんか? 大手町アカデミア 「鮨鰒(すしあわび)」が伝える食文化と古代日本史 ~平安時代の行政マニュアル『延喜式』を読み解く 日 時:2022年2月21日(月)18:00~19:45 会 場:オンラインYouTubeライブ配信 参 加:無料/事前申し込み[2022/2/17 木まで]/先着100名 《参 考》 三舟隆之(出雲古代史研究会の会員です)/馬場基 編『古代の食を再現する』吉川弘文館、2021年、本体3200円 吉野秋二『古代の食生活』吉川弘文館、2020年、本体1700円

  • たたらの実像をさぐる

    映画「もののけ姫」にも登場する #たたら製鉄 。 中国地方はたたら製鉄の一大産地でした。このたび次のようなたたら製鉄の一般むけの本がでます。 #角田徳幸 『たたら製鉄の実像をさぐる 山陰の製鉄遺跡』 (新泉社、2022年8月20日、本体1700円) 実際にはどのようにして鉄をつくっていたのでしょうか?第一線の研究者がたたら製鉄の実態に迫ります。 《参 考》 角田徳幸『たたら製鉄の歴史』吉川弘文館、2019年、本体1800円 角田徳幸『たたら吹製鉄の成立と展開』清文堂出版、2014年、本体9500円

  • 古代出雲文化フォーラム10

    【対面】#島根大学(#島根県松江市)は、人文社会系の学部が減り続けるなか、山陰地域における人文社会知の一大拠点であり、『松江市史』など地域発の知を全世界へ発信するハブでもあります。 →日本歴史学協会 若手研究者問題 島根大学は、毎春の #古代出雲文化フォーラム で人気が高い #古代出雲 の最新情報をお届けしています。一昨年より地域や時代をこえたテーマでしたが、今年は「古代出雲と相撲・埴輪・儀礼」と野見宿禰の伝承をふまえたテーマとなりました。 年度末のご多用の折かと存じますが、ふるってご参加くださいませ。 古代出雲文化フォーラムⅩ ~古代出雲と相撲・埴輪・儀礼~ 日 時:2023年3月4日(土)13:00~16:00/開場12:00 会 場:オービックホール(大阪府大阪市中央区平野町4-2-3) →交通アクセスのページ 参 加:無料/事前申込み[2023/1/31 火まで]/会場先着300名 申込み:①申込みフォーム ②FAX :0852-32-6630 島根大学企画広報課 「古代出雲文化フォーラムⅩ」あて ③ハガキ:〒690-8504  島根県松江市西川津町1060 島根大学企画広報課 「古代出雲文化フォーラムⅩ」あて 申込み者住所/氏名/年齢/電話番号/同伴者数 《参 考》 大日方克己『古代国家と年中行事』講談社学術文庫、2008年、本体1100円

  • 新刊『たたらの実像をさぐる』出版記念シンポジウムなど

    このたび、#たたら製鉄 についてコンパクトにまとめられた本がだされました。ご出版おめでとうございます。 #角田徳幸 『たたら製鉄の実像をさぐる 山陰の製鉄遺跡』 (新泉社、2022年8月20日、本体1700円) 《参 考》 角田徳幸『たたら製鉄の歴史』吉川弘文館、2019年、本体1800円 角田徳幸『たたら吹製鉄の成立と展開』清文堂出版、2014年、本体9500円 このご出版にあわせて、伯耆国たたら顕彰会は、次のシンポジウムと現地見学会をひらくことにしました。ご多用の折かと存じますが、ご都合がつきそうな方はなにとぞよろしくお願いいたします。 出版記念シンポジウム 日 時:2022年9月17日(土)13:30~16:10 場 所:日南町総合文化センター 2階多目的ホール(鳥取県日野郡日南町霞785) →交通アクセスのページ 参 加:無料/事前申込み不要 都合山現地見学会 日 時:2022年9月18日(日)09:30~11:30 場 所:09:30 日野町畑に集合 参 加:500円/事前申込み

  • 募集)島根県職員-2023年度

    島根県が、令和5年度(2023年度)の職員募集を次のとおり行います。令和5年度(2023年度)より紙の申込みを廃止しました。皆さまからのふるってのご応募をお待ち申し上げます。 島根県 > 県政・統計 > 職員募集 > 職員採用 > 職員採用情報(人事委員会事務局) > 受験案内のダウンロード (5/19 金 17時まで)令和5年度 島根県職員(学芸員)採用選考試験 (5/19 金 17時まで)令和5年度 島根県職員(文化財研究員)採用選考試験

  • 日本史研究会 古代史部会 2023-05

    #日本史研究会(#京都)は、日本最大手の学会の一つです。このたび次のとおり第1回 大会共同研究報告準備会をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、ぜひご参加くださいませ。 →日本史研究会について →会誌『日本史研究』 日本史研究会 古代史部会 第1回 大会共同研究報告準備会 日 時:2023年5月8日(月)18:30~21:00 報 告:大艸 啓 「平安京と寺院建立」 参 加:無料/事前申込み[5/7 日 正午まで]

  • 古代出雲国に移配されたエミシ 第6回

    委員 武廣亮平 このコラムも早いもので今回で6回目となります。そろそろネタも尽きてきましたが、もう一つ紹介しておきたいのが、出雲国で起きた移配エミシ(俘囚)の反乱が及ぼした影響についてです。 前回述べてきたように、出雲国の「俘囚」反乱に関する記事は弘仁5年(814)に見られますが、その内容は反乱の論功行賞や被害を受けた者に対する救済措置であることから、反乱が起きたのは弘仁4年(813)の暮れから弘仁5年(815)初頭にかけてと考えられます。この点を念頭にまず次の史料に注目してみます(これも漢文のものを現代語訳しました)。 『類聚国史』弘仁4年(813)11月21日条 (嵯峨天皇が)勅して言うには、夷俘の性格は平民と異なっており、朝化(朝廷の教え)に従うといいながら、未だに野心(野蛮な心)を忘れていない。そこで諸国の国司に勤めて教喩(教え諭すこと)を行うように命じた。しかし国司は朝廷の趣旨に反して、夷俘を存恤(慰問救済)することをせず、彼ら(夷俘)が申すところも日を経ても処理しないため、夷俘は愁いや怨みを募らせ、遂には叛逆するに到る。そこで播磨介従五位上藤原朝臣藤成、備前介従五位下高階眞人眞仲、備中守従五位上大中臣朝臣智治麻呂、筑前介正六位上栄井王、筑後守従五位下弟村王、肥前介正六位上紀朝臣三中、肥後守従五位上大枝朝臣永山、豊前介従五位下賀茂懸主立長等に対し、手厚く教喩を加えて、彼らが申す事について、早く処分することを命じる。問題が重大であり、簡単に決することができない場合は、政府に言上して裁定を聴くように。もし撫慰(いつくしみなぐさめ)をせず、夷俘が叛逆したり入京越訴を行った場合は、専当の人(夷俘の教諭に専属的にあたる国司)らを、その罪状に准じて断罪せよ。但しこの政策によって百姓への対応を後回しにしてはならない。 この史料は移配先においても「野心」を改めず、さまざまな問題を引き起こす夷俘に対して、国司の「教喩」の徹底を命じたものです。続いてその対象となっている国々と国司の氏名が挙げられており、例えば「播磨介従五位上藤原朝臣藤成」は、播磨国(兵庫県南部)の介(国司の次官)で従五位の位階である藤原朝臣藤成という人物ということになります。 以下の国をみると備前・備中国(岡山県)、筑前・筑後国(福岡県)、肥前国(佐賀・長崎県)、肥後国(熊本県)、豊前国(大分県北部)となっており、特に九州地域が多いことがわかります。また国司の責任者は守(長官)の場合もありますが、介が任じられるケースの方が多いようです。 もう一つ重要なのは、この史料が播磨国など多くの国々の夷俘(移配エミシ)が「叛逆」や「入京越訴」といった行動に出ることを危惧していることです。まず「叛逆」ですが、出雲国の移配エミシの反乱が、弘仁4年(813)の暮から5年(814)初頭にかけて発生したのだとすれば、この史料と時期的に重なるという点は注目したいと思います。 推測になりますが、ここで紹介した『類聚国史』弘仁4年(813)11月21日条は、出雲国で発生した俘囚の乱をうけて、出雲国と同じように多くの移配エミシが居住する諸国に対して出されたものとみることもできます。だとすれば「叛逆」とはまさに出雲国の移配エミシ(俘囚)の乱を示すということになります。 出雲国で起きた反乱は、延暦年間から政府が行ってきた大規模なエミシ移配政策の問題が表面化したものであることは明らかであり、さらにそれはエミシが移配された他の国々でも起こりうる深刻な課題として受け止められたのではないでしょうか。エミシ移配国の守または介を「夷俘専当」とする政策は、移配政策を進めてきた政府の危機感の表れでもあります。 次に「入京越訴」ですが、こちらは京(平安京)に入って訴えを起こすこと、つまり政府に対して自分たちの訴えや要求を直接伝える行為だと考えられます。実際に「入京越訴」があったことを記す史料を紹介します。 『類聚国史』弘仁7年(816)8月1日条 (嵯峨天皇が)勅して言うには、夷俘の性格は平民と異なっており、皇化(天皇の教え)に従うといいながら、なお野心を存している。そこで先に諸国に仰せて(夷俘を)教喩させた。ところが因幡・伯耆両国の俘囚らは。感情に任せて京に入り、小事(重要ではない事柄)について越訴を行っている。これはまさに国司が撫慰の方法を誤り、その理に反する判断が致すところである。これより以降は手厚く訓導(教え導く)をせよ。もし越訴のようなことがあれば、専当の国司をその状況に応じて罪科に処せ。 こちらはエミシの問題行為が移配された国での反乱ではなく、京での越訴という形で行われているところに特徴があります。出雲国の移配エミシの反乱から約3年後のものですが、注目されるのは入京して越訴に及んでいるのが、因幡・伯耆国(鳥取県)の移配エミシ(俘囚)であるという点です。 因幡国、伯耆国も出雲国と同じく山陰道の国であり、特に伯耆国は出雲国のすぐ東に隣接していることから、出雲国におけるエミシの反乱に何らかの影響をうけた彼らが、新たな手段で国家に対し自分達の生活の保障などを要求したものと見ることもできそうです。 出雲国の移配エミシに関する最後の記録は『日本三代実録』貞観元年(859)8月25日条に見られます。出雲国俘囚の「吉弥侯部黄海」を従六位上から従五位下に叙すというものであり、その位階からしても出雲国内で有力な地位にある人物と思われます。 ただ一方で「俘囚」という差別的な身分が残っているという点も注意したいところです。延暦17年(798)に初めて出雲国に移配エミシが確認されてからすでに60年が経ちますが、彼らはまだ「俘囚」や「夷俘」という特殊な集団とみなされていたことがわかります。 →4月15日(土)に続きます

  • 古代出雲国に移配されたエミシ 第7回

    委員 武廣亮平 出雲国における移配エミシの反乱のその後を追っていきたいと思います。『類聚国史』弘仁9年(818)正月30日条に「使を遣わして出雲国の賊の焼く官物を検じ、兼ねて百姓に賑給せしむ。」とあり「賊」(俘囚)の乱がその後数年にわたって「官物」(国や郡などの役所で管理する物品)の欠損という影響を及ぼしていたことが見て取れます。 ただその後移配エミシに関する記録は見られなくなり、貞観元年(859)に出雲国の俘囚である「吉弥候黄海」に従五位下の位を授けるという記事が最後になります。では移配されたエミシの人々は公民(百姓)として出雲国に定着したのかというと、これもそう単純な問題ではなかったようです。 延長5年(927)に完成した『延喜式』の主税式には、全国に移配された俘囚の生活を支える財源である「俘囚料」が計上されていたことが確認され、出雲国は「一万三千束」が俘囚料に充てられています。具体的にいつ頃までかははっきりしませんが、出雲国の移配エミシに対するさまざまな政策は9世紀を通して行われていたと思われます。それは見方を変えれば、彼らが依然として「夷俘」や「俘囚」という差別的な身分として扱われてきたことを示しているのではないでしょうか。 今回の計7回にわたる出雲国の移配エミシの話を簡単に整理してまとめに代えます。出雲国の移配エミシに関する史料は、出雲国司石川朝臣清主の移配エミシ政策を記したものと、俘囚の反乱に関するものに大別されます。 清主の対工ミシ政策は、当時の内国におけるエミシの処遇を具体的に示す貴重な事例であるのと同時に、それが実質的には陸奥、出羽国司の職掌である饗給(撫慰)と同じ内容を持つことが確認されます。ただし出雲国の事例が特記されているのは、国司である石川清主のエミシ政策が当時の通常の規定を逸脱したものであったからであり、その背景には清主自身の独自の政治観念が存在する可能性も指摘しました。 一方俘囚の反乱については、特に反乱の鎮圧に同じエミシ(夷=蝦夷)である遠膽澤公母志が関与しているという点に注目し、そこから移配エミシの中でも「夷(蝦夷)」と「俘囚」とでは、移配先における生活環境などについても差がある可能性を述べました。これらの理解は、あくまでも出雲国というある一地域の例から導き出されたものでありますが、実は全国的に見ても移配エミシに関する史料は限られており、これが8世紀末から9世紀初頭にかけての大規模なエミシ移配政策の実態を解明する上でも重要なものであることは間違いないと思います。 最後に今回の話も含めた古代のエミシに関する文献(書籍・論文)を紹介します。エミシをテーマとした文献は非常に多く、中世の「エゾ」との関係や(実はエゾも漢字では「蝦夷」と表記されます。エミシとの違いについて説明するとさらにあと5回ほど話をしなければならないのでご容赦ください…)、アイヌ民族との繋がりなどに言及したものも含めると、その数は膨大なものになります。 ただその中には筆者の独善的な説に基づくものや、文献史料の解釈に問題があるものも少なからず認められ、タイトルに「蝦夷(エミシ)」とあれば何でも良いというわけでもありません。ここでは私の専攻分野である文献史学の古代史を中心に、このコラムに関連する文献(単行本・論文)を紹介します。 <古代のエミシ全般に関する単行本> 1,工藤雅樹『古代蝦夷』(吉川弘文館、2000年) エミシに関する研究の歴史や、アイヌ民族との関係についての研究動向がまとめられている有益な文献です。 2,熊谷公男『蝦夷の地と古代国家』(山川出版社、2004年) 熊谷氏のエミシ・古代東北史研究は多岐にわたりますが、その中からエミシとはどのような人々かという問題を簡潔に述べたこの本を紹介します。 3,鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』(吉川弘文館、2008年) 奈良時代(8世紀前半)から平安時代初期(9世紀前半)にかけての古代国家(律令国家)とエミシ社会との関係を、「征夷」という軍事行動を中心にまとめたものです。 4,樋口知志『阿弖流為』(ミネルヴァ書房、2013年) 阿弖流為(アテルイ)というタイトルからもわかるように、エミシ社会の観点からの古代国家との関係を論じた意欲的な著作です。上記の鈴木氏の本と読み比べると両者の関係についての理解がさらに深まると思います。 5,八木光則『古代蝦夷社会の成立』(同成社、2010年) 考古学の立場からのエミシ研究も枚挙に暇がありませんが、その中からこの本をあげたいと思います。北海道、東北地域のさまざまな考古学的素材から、古代エミシ社会の成立を見通しています。 <移配エミシ全般を扱った論文> 1,関口 明「八、九世紀における移配蝦夷の支配」 (『古代東北の蝦夷と北海道』吉川弘文館、2003年) 2,熊谷公男「蝦夷移配策の変質とその意義」 (『九世紀の蝦夷社会』高志書院、2007年) 3,武廣亮平「エミシの移配と律令国家」 (『古代国家と東国社会』高科書店、1994年) <出雲国の移配エミシに関する論文> 1,大日方克己「弘仁期の出雲とエミシ」 (『古代山陰と東アジア』(同成社、2022年) 国府財政への影響といった視点も含めて出雲国の移配エミシを論じています。なお『古代山陰と東アジア』は古代の山陰地域と東アジアとの関係を包括的に論じた最初の研究成果であり、このたび高麗日本浪漫学会 高麗澄雄記念「第5回渡来文化大賞」を受賞しました。 2,鈴木拓也「蝦夷の入京越訴」 (前掲『九世紀の蝦夷社会』高志書院、2007年) 出雲国の移配エミシの反乱とも関連する俘囚の「入京越訴」に注目した興味深い論文です。 3,武廣亮平「古代出雲国の移配エミシとその反乱」 (『出雲古代史研究』7・8号、1998年、同「古代のエミシ移配政策と出雲国の移配エミシ」(『歴史評論』802号、2017年) このコラムのもとになっている論文です。 →5月15日(月)に続きます

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