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古代出雲国に移配されたエミシ 第1回

更新日:2023年7月13日



                   委員 武廣亮平


出雲古代史研究会委員の武廣亮平です。今回から古代出雲国における移配エミシの問題について、私見も含めて書いてみたいと思います。この内容は『出雲古代史研究』第8・9合併号の「出雲国の移配エミシとその反乱」を中心にしたものです。


本題に入る前に、まず私と本研究会との関わりについて簡単に紹介します。出雲古代史研究は発足当初から委員として研究会の運営に携わりました(詳細は菊地照夫さんの「私の出雲古代史研究 第7回」参照)。


実際の会の運営は代表である関和彦さんや、出雲の内田律雄さん、野々村安浩さんに「おんぶに抱っこ」でありましたが、大会当日の会場設営や、報告者として何とか最低限の責務は果たしました。特に第1回大会(テーマ:国引神話)、第2回大会(テーマ:神賀詞)、第4回大会(テーマ:新造院)の大会では研究史をまとめるという重要な役割を任され、とにかく関連文献を読み漁ったことを記憶しています。この時に勉強した内容は今でも私の財産となっています。



 


今回のテーマは出雲国に移配されてきたエミシですが、それについて述べる前提として、そもそもエミシとはどのような人々なのか、また移配とはどのような政策なのかを確認しておく必要があります。


エミシは古代の日本列島東北部に居住していた人々に対する呼称であり、漢字表記として「蝦夷」と書かれることが多いですが、これは中国の東方に居住する異民族を「東夷」と称することに影響されたものと考えられています。エミシに関する表記はこのほかに「俘囚」「夷俘」などがありますが、ここでは特に漢字で表記する必要のない限り「エミシ」と書きます。


エミシが特定の人間集団と認識されるようになった時期については定かではないですが、『宋書』倭国伝の倭王武(ワカタケル大王-雄略天皇)の上表文に「東は毛人を征すること五十五国」とあり、この「毛人」も東方の異民族を指す語であることから、5世紀後半のヤマト政権の段階から列島東部の集団に対する独自の認識があったことがわかります。


ただしこの「毛人」がエミシに直接結びつく集団であるのかという点については明らかではなく、おそらくヤマト政権が国造やミヤケなどの地方支配制度を列島北部にも拡大していく過程で形作られていった集団認識と考えられます。一方で上述のようにエミシは漢字で「蝦夷」と書かれるように中国の異民族概念の影響を強く受けていることも忘れてはなりません。エミシと呼ばれた人々の実像を明らかにすることの難しさは、関連史料がエミシに対する差別的な意識で書かれているところにあります。


また考古学の立場からみると本州~九州は弥生文化から古墳文化と展開するのに対し、北海道は続縄文文化から擦文文化という独自の文化形態をたどることが知られています。その中間的地域である東北北部でも続縄文土器や擦文古土器が出土することから、エミシは北海道を中心とした北方系文化の要素と、本州を中心とする列島文化の要素をあわせ持つ多様な人間集団という見方も有力です。



 

 

次にエミシの内国への移配と、それに関連する政策について概観します。「移配」とは、律令国家の成立・展開期である8~9世紀(奈良時代~平安時代前期)にかけて、征夷などの軍事活動を契機として国家に投降したエミシ集団を、彼らの本来の居住地である東北地域(陸奥国、出羽国)から他の地域に移住させる政策です。


その初見は神亀2年(725)の「俘囚」(国家に投降したエミシに対する表記)の西国への移配記事であり、これは前年に起きた「海道蝦夷」の反乱と関わるものと考えられます。エミシを移配する目的としては、国家に抵抗するエミシの勢力を分散させて勢力を弱めるという理解が支配的ですが、俘囚が東国防人の代替兵力としての役割を期待されている史料もあることから、軍事的な利用価値を求めているという特徴も指摘できます。


関連史料から移配の内容をみると、8世紀の「俘囚」の移配先は西国です。宝亀7年(776)までは征夷による投降者を主体とした移配と思われますが、延暦年間(782~805)以降は移配先における問題行動により、別の場所への懲罰的な移配記事も見られるようになります。


一方エミシの族長クラスとされる人物やその配下集団の移配も確認され、これは延暦13年(794)頃に行われた坂上田村麻呂による征夷に伴うものとされます。移配の規模も延暦年間には拡大したようであり、そこにおける集団表記も「蝦夷」と「俘囚」を併せた「夷俘」へと変化します。これは移配されるエミシ集団の実態が多様化したことを窺わせるものです。


出雲国にエミシが移配されるのはこの延暦年間です。次回以降は出雲国に移配されたエミシの史料を読みながら、なぜ出雲国に移配されたのかといった点を中心にまとめてみたいと思います。

→11月15日(火)に続きます




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