Izumo ancient history studies group
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- 安来市歴史文化講座「歴史を動かした気候変動」
このたび、島根県安来市は、安来市歴史文化講座「歴史を動かした気候変動-過去数千年間の寒冷化と温暖化-」をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいませ。 第19回 安来市歴史文化講座 歴史を動かした気候変動 -過去数千年間の寒冷化と温暖化- 日 時:2024年9月28日(土)14:00~15:30 会 場: 和鋼博物館 映像ホール (島根県安来市安来町1058) → 交通アクセスのページ 参 加:無料/事前申込み不要 講 師: 齋藤文紀 ( 島根大学エスチュアリー研究センター 特任教授)
- 日本海地域と渤海使 第5回番外編
委員 吉永壮志 最後に番外編として、『源氏物語』の作者として有名な紫式部(むらさきしきぶ)が主人公のNHK大河ドラマ「光る君へ」でも描かれた日本海地域と中国の宋人について、お話したいと思います。 当コラムの第1回でも少し触れたように、紫式部の父である藤原為時(ふじわらのためとき)は長元2年(996)に越前守に任じられました。その前年には宋商の朱仁聡(しゅじんそう)らが若狭に来着し、その後に越前に移っており、学者で漢詩にも長けた為時が守として対応にあたったと考えられます。 『今鏡』巻9むかしがたり(からうた)には、為時を越前守に任じたのは「こまふど」(高麗人)と漢詩のやりとりをさせたいという「みかど」(一条天皇)の「御こころ」によるとあり、「国を去ること三年、孤館の月、帰程の万里、方帆の風」、「画鼓雷奔して、天雨降らず、彩旗雲そびえて、地風なす」という詩が贈答されたようです。 『今鏡』はあくまで歴史物語であるため、史実かどうか見極める必要はありますが、『本朝麗藻』(ほんちょうれいそう)下、贈答に為時が宋人に贈った漢詩(「覲謁の後、詩を以って大宋客の羌世昌に贈る 藤為時」)が収められており、先の『今鏡』の詩と同じ表現が確認できるため、『今鏡』の話も史実として問題ないと思われます。 それでは、為時はどこで宋人と漢詩をやりとりしたのでしょうか。それは、当コラムで越前における渤海使(ぼっかいし)の滞在先として述べてきた、敦賀湾近くの松原客館周辺であったのではないでしょうか。先に述べた『本朝麗藻』下、贈答の「覲謁の後、詩を以って大宋客の羌世昌に贈る 藤為時」には「賓礼還慙水館中」とあり、為時と宋人の漢詩のやりとりは「水館」で行われたことをうかがわせます。 また、宋商の朱仁聡は永延元年(987)にも越前にやって来て、その際、「敦賀津」で源信と会っており(『続本朝往生伝』(ぞくほんちょうおうじょうでん)15沙門寛印)、これも松原客館のある敦賀が宋人の滞在先であったことを示唆します。 さらに、時代は下るものの、元永2年(1119)頃のものとされる書状(東寺観智院旧蔵本『東大和尚東征伝』(とうだいわじょうとうせいでん)紙背文書)に「敦賀唐人」という語句がみえるのも、やはり敦賀が宋人の滞在地であったことを物語っています。そもそも、宋人は商人として貿易目的で日本にやって来ており、その相手先は主に京に暮らす皇族や貴族でした。そのため、少しでも京に近いところに滞在したかったのではないでしょうか。 以上、為時は越前国府ではなく、外国使節の滞在先であった敦賀の松原客館で宋人の対応にあたったと考えられることをお話してきました。その際、父為時とともに越前に下っていた紫式部が実際に宋人と交流したのかは記録が残っておらず、残念ながら不明としかいいようがありません。 ただ、例えば、任国に下る国守の国務運営マニュアルともいわれる『朝野群載』巻22「国務条事」35条の記載から国守の妻に取り入る者の存在がうかがえるように、国守とともに下った女性たちが国内支配に一定の影響力をもっていたことを考慮すると、為時と宋人との交流の様子を紫式部は知ることができたのではないかと思います。最後はあくまで個人的な感想にすぎませんが、当コラムをお読みの皆さんはどのように思われるでしょうか。 5回にわたって「日本海地域と渤海使」についてお話してきました。当テーマに関する著書や論文は多くありますが、以下に一般むけの書籍や私自身が執筆した関係論文等を掲載しますので、参考にしていただければと思います。(了) 《参 考》 古畑徹 『 渤海国とは何か 』( 吉川弘文館 、2018年、税込み1870円) 「失われたる王国」ともいわれる渤海について、わかりやすく説明した書。渤海に関する参考文献も最後に挙げられており、より深く渤海を知ろうとする場合の手引きにもなります。 大日方克己 『 出雲に来た渤海人-東アジア世界のなかの古代山陰と日本海域- 』(松江市ふるさと文庫22、松江市歴史まちづくり部史料編纂課、2019年、本体800円) 松江市域の歴史をわかりやすく紹介する「松江市ふるさと文庫」の一つ。出雲にやって来た渤海使について丁寧に説明しており、8世紀から10世紀はじめにかけての東アジア世界の動向と山陰の関係を知ることができます。 吉永壮志 「古代西日本海地域の水上交通-若狭と出雲を中心に-」(『ヒストリア』271、2018年) 吉永壮志 「古代北陸道の沿海ルートと能登半島」(佐々木虔一・笹生衛・菊地照夫編『 古代の交通と神々の景観-港・坂・道- 』 八木書店 、2023年、本体8500円) 今回のコラムで触れた渤海使や松原客館、能登客院について述べています。論文のため、やや内容が難しいかもしれませんが、興味関心があるようでしたら一読いただければ幸いです。 吉永壮志 「古代出雲の水上交通-日本海地域という視点から読み解く-」(島根県古代文化センター編『 古代出雲ゼミナール 』6、島根県・島根県教育委員会、2020年) 先に挙げた拙稿のうち、「古代西日本海地域の水上交通-若狭と出雲を中心に-」をもとに平成30年度島根県古代文化講座(会場:日比谷コンベンションホール)で話した内容を記した講演録。一般の方むけの講座で話した内容で、拙稿よりは平易な文章ですので、こちらも興味がありましたら一読いただければと思います。 なお、番外編に関しては、下記の自治体史や論文も参考にしていますので、より詳しくお知りになりたい場合は、是非一読ください。 福井県編『 福井県史 通史編1 原始・古代 』(福井県、1993年) 酒井健治「 平安時代中・後期における唐人来着と日本海-越前と若狭を中心に- 」(『市大日本史』22、2019年、大阪市立大学日本史学会) ※今まで吉永壮志の「日本海地域と渤海使」をご覧くださり、誠にありがとうございました。
- 館長講座2024
#出雲弥生の森博物館(#島根県出雲市)は、 #四隅突出型墳丘墓(西谷墳墓群)を紹介するためにつくられた博物館です。このたび、花谷浩館長による館長講座をひらくことになりました。全3回ですが、個別に参加することもできます。感染予防をとったうえでご参加くださいませ。 → 西谷墳墓群について 2024年館長講座 出雲市内の古代中世寺院 日 時:2024年10月27日(日)14:00~16:00 会 場:① 出雲弥生の森博物館 たいけん学習室 (島根県出雲市大津町2760) → 交通アクセスのページ ②オンライン配信 演 題:出雲市内の古代中世寺院①-備後から吹き寄せた蓮華の風- 参 加:300円 | オンライン無料/事前申込み/先着80名 日 時:2024年11月23日(土・祝)14:00~16:00 会 場:① 出雲弥生の森博物館 たいけん学習室 (島根県出雲市大津町2760) → 交通アクセスのページ ②オンライン配信 演 題:出雲市内の古代中世寺院②-出雲臣の造寺活動- 参 加:300円 | オンライン無料/事前申込み/先着80名 日 時:2024年12月22日(日)14:00~16:00 会 場:① 出雲弥生の森博物館 たいけん学習室 (島根県出雲市大津町2760) → 交通アクセスのページ ②オンライン配信 演 題:出雲市内の古代中世寺院③-島根半島に出現した『聖の住処』- 参 加:300円 | オンライン無料/事前申込み/先着80名 《申込み方法》 ①対面(受付09:00~17:00) 電 話:0853-25-1841 FAX :0853-21-6617 メール:yayoi@city.izumo.shimane.jp 氏名・電話番号 ②オンライン(受付09:00~17:00) メール:yayoi@city.izumo.shimane.jp 氏名・電話番号
- 日本海地域と渤海使 第4回
委員 吉永壮志 前回のコラムでは、陸上交通・水上交通いずれにおいても要衝となる地に置かれた駅に併設されていたと考えられる越前の松原客館(駅館)や能登の客院に渤海使(ぼっかいし)が滞在していたことを紹介しました。このような北陸道における動向を踏まえ、山陰道、とりわけ隠岐や出雲に来着した渤海使がどこに滞在していたと考えられるのかお話したいと思います。 渤海使のうち、記録上、出雲に来着したことがわかる最初の事例は大使王孝廉(おうこうれん)一行です。おそらく鬱陵島(ウルルンド)を経由し、弘仁5年(814)9月30日に出雲に来着した王孝廉は、入京して翌弘仁6年(815)の元日朝賀などの儀式に参加し、叙位や禄に預かったのち、勅書を授けられて京を出発し帰途に就いています(『日本後紀』(にほんこうき)弘仁5年9月30日・11月9日条、弘仁6年正月1日・7日・16日・20日・22日条)。 渤海への出航前の出雲滞在中、大使王孝廉は漢詩を詠んでおり、それが嵯峨天皇の勅撰漢詩集『文華秀麗集』(ぶんかしゅうれいしゅう)上、贈答に収められています。 従 二 出雲州 一 書 レ 情、寄 二 両箇勅使 一 。一首。 王孝廉 南風海路速 二 帰思 一 、北雁長天引 二 旅情 一 。 頼有 二 鏘鏘双鳳伴 一 、莫 レ 愁多日住 二 辺亭 一 。 出雲州より情を書し、両箇の勅使に寄す 一首 王孝廉 南風海路帰思を速(うなが)し、北雁長天旅情を引く。 頼(さいわい)に鏘鏘なる双鳳の伴ふこと有り、 愁ふること莫れ多日辺亭に住まふを。 出雲に滞在中の王孝廉が帰国への思いを2人の勅使に寄せた上記の漢詩を意訳すれば、海路に吹く南の風が故郷に帰りたいという思いをかりたて、長く広い空を北からやって来た雁が旅情を催させる。幸いなことにつがいの鳳凰が航路近くで連れだっているため、長らく「辺亭」にいることを憂う必要はないという内容になります。 ここで注目すべきは、王孝廉が出航するまでの間、出雲にある「辺亭」に長らく滞在しているということです。この「辺亭」がいったいどこにあったのか、王孝廉一行の場合からだけではわかりませんが、他の渤海使の事例から、ある程度うかがい知ることができます。 例えば、天長2年(825)に隠岐に来着した渤海使高承祖(こうしょうそ)は出雲に(『類聚国史』(るいじゅうこくし)巻194渤海下、天長2年12月3日・7日条)、貞観3年(861)に隠岐に来着した渤海使李居正(りきょせい)も出雲に安置されており(『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく)貞観3年正月20日条)、出雲に渤海使の滞在施設があったことがわかります。 ここで想起すべきは、越前の松原客館(駅館)や能登の客院の立地で、水上交通・陸上交通の要衝に置かれた駅に併設されていたということです。 『延喜式』(えんぎしき)兵部式82山陰道駅伝馬条には出雲国の駅として野城・黒田・完道・狭結・多伎・千酌の6駅が確認できますが、このうち、隠岐に来着した渤海使が安置された出雲とかかわるのは出雲・隠岐両国間を結ぶ千酌駅です。 しかも、先に述べた渤海使李居正は島根郡に、貞観18年(876)に出雲に来着した渤海使楊中遠も島根郡に安置されており(『日本三代実録』元慶元(877)年正月16日条)、先に挙げた6駅のうち島根郡内にあるのは千酌駅だけです。 つまり、王孝廉が滞在した「辺亭」は千酌駅周辺に設けられていた可能性が高いと考えられ、千酌駅の比定地である松江市美保関町千酌周辺でなにかみつかればと淡い期待を抱いています。 なお、強い望郷の念を詠み、航海がうまくいくことを願った王孝廉ですが、残念ながら渡航に失敗し、帰国を果たせずに日本で亡くなってしまいます。当時の航海が困難を伴うものであったことを物語ります。 →次回更新2024年9月15日(日) → 出雲古代史研究会大会ご案内ページ
- 東三条院藤原詮子と出雲
委員 大日方克己 「光る君へ」で重要な役回りで登場する東三条院藤原詮子。弟道長を内覧にするよう尽力し、伊周の排除に一役買ったりする場面が描かれていました。実際に皇太后(国母)として天皇を後見する政治的影響力の大きさが注目されています。そんな東三条院詮子は出雲国とも関係がありました。 「 出雲国正税返却帳 」(九条家本延喜式裏文書、東京国立博物館所蔵)と呼ばれている11世紀後半の文書が残っています。この文書は、延久3年(1071)から承保2年(1075)ころまで出雲守だった藤原行房の受領考課(任期中の勤務評定)に必要な税帳勘会(財政監査)の結果として作成されたものです。過去百数十年間の出雲国府の財政支出の一部が断続的に記されています。 そのなかに、出雲国の正税(公的財源)から政府への貢納として、①長保2年(1000)2月7日付の「東三条院御賀料」麻布200段、②長保3年(1001)閏12月29日付の「東三条院法会料」麻布100段が記されています。 ①の東三条院御賀とは、詮子の四十賀、つまり四十歳の祝賀行事のこと。長保3年(1001)10月9日に開催されました。準備が前年長保2年の相当早い時期から始まっていたことがわかります。長保2年(1000)12月16日に皇后定子が亡くなったこともあって、翌長保3年(1001)3月10日に開催することになりました。 ところが直前になって、疫病の流行で京中に死者があふれかえる状況になったため延期され、さらに詮子の体調不良が重なって、ようやく10月9日に開催の運びとなったのです。 当日は、藤原道長の土御門邸に一条天皇・中宮彰子が行幸し、多くの公卿も集まって饗宴、歌舞、管弦が繰り広げられました。 そのきらびやかで盛大な様子は、藤原実資の『小右記』や藤原行成の『権記』に記録され、『栄花物語』や『大鏡』にもハイライトシーンの一つとして描かれています。なかでも道長の子田鶴(たづ、後の頼通)と巌君(いわお、後の頼宗)の舞には、天皇をはじめ参列者みな感動したとされています。 この祝賀の費用は出雲国だけが特別に負担したわけではなく、多くの国々に割当てられたものでした。たとえば祝賀品として藤原公任らが和歌を書き連ねた屏風が贈られました。その費用は和泉と尾張が負担します。この時の和泉守は橘道貞、和泉式部の夫です。尾張守は大江匡衡、赤染衛門の夫です。大江匡衡は当時を代表する文人貴族。赤染衛門も和泉式部も代表的な女性歌人、「光る君へ」でもたびたび登場します。このようなつながりも、費用負担割当ての背景にはあったでしょう。 東三条院と出雲国のつながりのカギは出雲守源忠規(光孝源氏)です。東三条院の院司(別当〈管理職〉)の一人でした。別当は何人もおり、そのトップは大納言藤原道綱(詮子・道長の兄)。忠規はこの参賀に先立って東三条院別当を再任され、参賀の翌日にはその功績で位が昇進します。 院司や摂関家などの家司(上級家政職員)が国司(受領)に任じられると、受領として院や摂関家に奉仕することが多く、忠規も出雲国の受領として東三条院への各種奉仕を率先して行っていたと思われます。 「正税返却帳」にみえる支出は、あくまでも帳簿上の表向きであって、実際には出雲国から徴収し、受領自身の収入として蓄財した私富を経済的基盤として、多くの奉仕していたと思われます。ただし、忠規が出雲守に任じられたのは長保3年(1001)のことで、長保2年(1000)に参賀料を負担したのは、前任者のときだった可能性が高そうです。前任者がだれかは不明です。 さて、このように参賀は盛大に行われましたが、東三条院の体調は依然として良くありません。閏12月5日ころから容体が悪化、16日に一条天皇が見舞いに訪れますが、その後出家します。東三条院別当だった藤原行成の邸宅に移りますが、とうとう22日の酉刻(18時ころ)亡くなってしまいます。四十の祝賀を受けてから、わずか3か月余りのことでした。 翌23日には当座の費用として内裏から絹100疋・本絹200疋・布1000端・米300石などが送られ、24日には葬送のために諸事の手配・分担や費用の諸国への割当てが決定されます。そしてその夜、鳥辺野(とりべの)で葬送されました。鳥辺野は京の葬送地の一つで、今の清水寺周辺から大谷墓地のあたりとされています。 28日には初七日の読経が諸寺で行われ、明けて長保4年(1002)正月1日には、法華経供養が行われます。当然、朝廷の正月行事は中止されています。6日に二七日(にしちにち)、13日に三七日(さんしちにち)と七日ごとの読経が諸寺で続き、2月10日に七七日(しちしちにち)、つまり四十九日の法会が行われます。 ②の長保3年(1001)閏12月29日付「東三条院法会料」は、この四十九日法会の費用でしょう。法会の当日には、皇太后遵子、中宮彰子をはじめとした后たち、皇太子居貞親王のほか、左大臣道長をはじめとした多数の公卿たちから合計で布3700端もの大量の布施が寄せられました。 こうした布施のほか、法会の場の設営、物品、多数の僧や参列者への応対など莫大な費用と人員が動員されたことは容易に想像できるでしょう。出雲国からはそうした費用の一部を進上するとともに、東三条院別当の出雲守源忠規自身による経済的奉仕も大きかったと推測されます。 忠規のその後は史料が残されていないためわかりません。出雲守・出雲国と東三条院との関わりはこれで終わりですが、その後も、政府からの各種事業の費用負担が割当てられたり、出雲守が受領として蓄積した私財を投じて、政府事業や摂関家、後には白河院など院政を行った院へ奉仕することが続いていきます。 もちろん、もろ手をあげて喜んで奉仕したとは限りません。受領にとっては重い負担になります。ときにはそれを逃れようとあの手この手を繰り出す受領もいました。その悲喜こもごもも、この時代の政治、財政構造をあぶりだす格好の素材になりますが、それはまた別の機会したいと思います。 《参 考》 『 松江市史 通史編1自然環境・原始・古代 』(松江市史編集委員会、2015年、本体5000円)、pp.744-745、p.789 服藤早苗 / 高松百香 編『 藤原道長を創った女たち 』( 明石書店 、2024年、本体2000円)
- 秋季特別展「王と前方後方墳」
今年の2024年は、山代二子塚が国史跡の指定をうけて100年めという節目にあたります。そこで #島根県立八雲立つ風土記の丘( #島根県松江市)は、次のとおり秋季特別展をひらくことになりました。博物館だけでなく敷地内には風土記植物園などが、博物館のまわりにも、出雲国府跡などの史跡や古墳がたくさんあります。さわやかな秋、レンタサイクルなどで #古代出雲 を楽しんでみませんか? → 風土記植物園のページ 令和6年秋季特別展 王と前方後方墳 期 間:2024年9月14日(土) ~11月24日(日)毎週火曜休 時 間:09:00~17:00(入館は16:30まで) 場 所: 島根県立八雲立つ風土記の丘 展示学習館 (島根県松江市大庭町456) → 交通アクセスのページ 入館料:一般 200円/大学生 100円/ 高校生以下 無料 その他: 史跡めぐりマップ
- 出雲古代史研究会 役員 2024改選
#出雲古代史研究会( #松江)役員 2023~2025年度 代 表:荒井 秀規 代表委員:菊地 照夫|荒井 秀規 平石 充|吉永 壮志 運営委員:平野 卓治|三舟 隆之|武廣 亮平 | 東 真江(新) 久保田一郎|吉松 大志|佐藤 雄一 | 田中 昇一(新) 庶務会計:野々村安浩|橋本 剛 会誌編集:平石 充|久保田一郎 事務局長:大日方克己 広 報:吉松 大志|間室江利子|田村 葉子
- 特別講座「隠岐・出雲の古代史研究のいま」
このたび、 #壱岐市立一支国博物館( #長崎県壱岐市)が 特別講座 「隠岐・出雲の古代史研究のいま」をひらくことになりました。当会の会員が報告します。ご都合がつきそうな方はいかがでしょうか? 特別講座 隠岐・出雲の古代史研究のいま 日 時:2024年9月22日(日)14:00~ 会 場: 一支国博物館3階 多目的ホール (長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触515-1) → 交通アクセスのページ 参 加:無料/定員180名 講 師:久保田一郎(島根県立古代出雲歴史博物館)→ 出雲古代史研究会の会員です
- 2024年度 日本史研究会 大会
#日本史研究会(#京都)は、日本で最大手の歴史学会の一つです。今年度の大会も対面とオンラインのハイブリッドにてひらくことになりました。台風などによる中止の判断は、10月10日(木)の午前中までにサイトなどで告知するそうです。最新の情報をお確かめくださいますようお願いいたします。 → 日本史研究会について → 会誌『日本史研究』 2024年度 日本史研究会 大会 日本社会の歴史的展開と文化の変容 日 程:2024年10月12日(土)13:00~17:30 全体会シンポジウム 2024年10月13日(日)09:30~17:00 共同研究報告 会 場:① 佛教大学 紫野キャンパス (京都市北区紫野北花ノ坊町96) → 交通アクセスのページ ②オンライン 参 加:会員1000円/非会員1500円/学部生500円 ①ゆうちょ銀行 01070-6-25712 加入者名 日本史研究会 ※ほかの金融機関からのお振込み 一〇九 店(イチゼロキユウ店) 当座 0025712 ②京都銀行 府庁前支店(普通)835974 日本史研究会代表 飯塚 一幸 ③PayPalによるご送金 申込み: 事前申込み [オンラインのみ/会員 9 /1 日~ 非会員 9/8 日~10/9 水まで] 第一会場(古代・中世)対面200名/オンライン300名/先着順 その他:書籍展示 懇親会のご案内 日 時:2024年10月12日(土)18:00~ 会 場: 佛教大学 紫野キャンパス1号館地下1階カフェテリア「笑虹紫」 参加費:一般 4000円/学生(博士後期課程まで) 3000円 スケジュール 10/12 土 全大会シンポジウム 対外関係の展開と日本文化・社会の変容 1号館316教室 13:00~ 報告① 皆川 雅樹 「「唐物」とは何か -平安期の「文化」との関わりから考える-」 報告② 鹿毛 敏夫 「中世日本文化の展開と唐人・南蛮」 コメント 橋本 雄 10/13 日 共同研究報告 第一会場 古代史部会 (1号館316教室) 報告09:30~11:00 討論13:30~15:00 三野 拓也 「奈良時代における就労形態の実態 -造石山寺所を中心に-」 第一会場 中世史部会 報告11:20~12:50 討論15:20~17:10 服部 光真 「13~15世紀における顕密寺院の展開と地域社会」 第二会場 近世史部会 (1号館313教室) 報告10:30~14:40 討論15:15~17:00 谷戸 佑紀 「近世前期の伊勢神宮と武家政権 -祈願・祭礼を素材として-」 松本 和明 「近世後期における地方朱印地寺院の寺中構造と本末関係 -出羽国山形宝幢寺の寺中改革・智山移転地問題を事例に- 」 第三会場 近現代史部会 (1号館420教室) 報告10:00~12:40 コメント 討論14:00~17:00 共通テーマ 日本現代社会の形成と地域・運動 報告① 高田 雅士 「「開発の時代」の地域社会と歴史をめぐる住民運動 -京都府城陽市域における文化財保存と自治体史編纂-」 報告② 富山 仁貴 「高度成長期の社会運動と教育実践 -京都府丹後地域における「地域に根ざした教育」の誕生- 」 コメント 河西 英通
- 出雲古代史研究会の発足について 第2回
井上寛司 ところで、私は『古事記』『日本書紀』の研究者として知られる友田吉之助氏の後任として島根大学に採用されたこともあって、大学における私の責任分担は日本中世史のみならず、古代史を含むもので、「日本古代・中世史担当」というのが私の表向きの肩書きであった。そうしたことから、大学教育や学生指導の必要性もあって、日本古代史や古代島根地域史についても、可能な限り学会の動向を注視し、最新の研究成果の吸収にも努めるよう心がけた。 しかし、その重要性は認識しながらも、自ら直接古代史研究に足を踏み入れることには躊躇があり、出雲古代史に対する島根県民あるいは全国の歴史愛好家の皆さまのご期待に添えないことに大きな責任を感じていた。この当時、島根県内で文献古代史を専門的に研究しているのは野々村安浩氏と若槻真治氏の2人のみという状況が続いていて、問題を打開する道を見出すことは極めて困難に思われた。 しかし、1983年12月の岡田山1号墳の太刀銘、翌年7月の荒神谷遺跡での大量の銅剣と銅鐸の発見により、出雲古代史への興味・関心が従来にも増して大きな高まりを見せる中、もはやこれ以上(文献)古代史研究会なしでは済まされないと強く考えるようになった。 こうした状況の中で開催されたのが、ホテル宍道湖を会場とする1987年7月の第15回古代史サマーセミナーであった。このセミナーには、考古学関係者のみならず文献古代史の研究者も全国から多数参加され、大変大きな盛り上がりを見せた。そして、研究会終了後の懇親会の中で、文献による出雲古代史研究の必要性が改めて強調された。 かねてより、島根県古代史研究会の立ち上げを模索してきた私は、出雲古代史研究の持つ独自の特徴にも注目していて、研究会のあり方もそれに相応しいものにする必要があると考えていた。『出雲国風土記』を始め、「出雲国計会帳」「出雲国正税返却帳」「出雲国大税賑給歴名帳」などの諸記録・古文書や、出雲神話・出雲大社・神賀詞・新嘗会・出雲国造など、古代史料の豊かさや、検討を深めるべき問題群の多さという点で、島根地域史研究には収まりきらない、全国的な視野での検討が不可欠で、地域史研究と全国的な研究との両者の性格を併せ持つ、そうした研究会が必要だと考えたからである。 そこで、考古学者でありながら文献にも造詣が深く、東京方面に多くの知り合いを持つ内田律雄氏及び野々村安浩氏と相談の結果、『出雲国風土記』研究で再三出雲に足を運ばれている東京の関和彦氏と協議して「出雲古代史研究会」の発足を検討しようということになった。古代史サマーセミナーが終わった数ヶ月後のことであったと記憶する。 但し、私は関氏とそれほど親しいわけではなかったこともあって、関氏との折衝は専ら内田氏にお願いすることとした。内田氏は自ら東京に出向くなどして、研究会の発足に向けて大いに奮闘していただいた。 その後、思いもかけないことながら、1989年2月から、島根県益田市の県指定文化財三宅御土居跡の保存運動が起こり、私は事務局長としてこの遺跡保存運動に全精力を傾注しなければならないこととなってしまった。こうした事情もあって、出雲古代史研究会の発足に向けた諸準備は、すべてを関・内田・野々村の3氏を初めとする皆さまにお任せすることとなった。発議者であるにも関わらず、十分にその責めを果たすことができなかったことを、まことに申し訳なく思っているところである。 研究会の発足に向けた準備会での検討の結果、 代表委員や運営委員を島根と東京の両者から同数選出し、その協議によって会を運営する 年1回の総会・研究会と会誌の発行を目指す、 事務局を島根大学歴史学教室(日本史研究室)に置く、 などの基本方針が確認され、記念すべき第1回の研究会が1990年7月に島根大学法文学部棟2階会議室で開催された。私も運営委員の1人、事務局担当として選出され、この体制は私が島根大学を退職する1997年3月まで続いた。 私の退職後、その後任として着任された大日方克己氏に事務局を引き継いでいただいたが、文献古代史を中心とする出雲地域史研究会と全国的な研究団体(学会)という2つの性格を合わせ持つ本研究会のあり方は、今日に至るも基本的には変わるところがないといえるであろう。(了) ※今まで井上寛司さんの「出雲古代史研究会の発足について」をご覧くださりありがとうございました。
- 出雲国成立と山代・大庭古墳群
【 予定どおり開催します 】2024年は、山代二子塚(島根県松江市)や、今市大念寺古墳(島根県出雲市)などの大型古墳が、国史跡の指定をうけて100年めにあたります。これを記念して松江市は、次の関連講座をひらくことになりました。感染予防をとったうえでお運びくださいますようなにとぞよろしくお願いします。 出雲の大型古墳国の史跡指定100年 出雲国成立と山代・大庭古墳群 日 時:2024年8月31日(土)13:30~16:00 会 場: 松江市市民活動センター (島根県松江市白潟本町43) → 交通アクセスのページ 参 加:無料/事前申込み[8/23 金まで]/定員180名 申込み:①電話 松江市役所埋蔵文化財調査課 0852-55-5284 ②FAX 松江市役所埋蔵文化財調査課 0852-55-5571 ③ インターネット (下のQRコードからも申込みできます) 講 演:①丹羽野裕(松江市文化財総合コーディネーター) 「山代二子塚古墳に眠るのは誰だ!?」 ② 佐藤 信 (東京大学名誉教授) 「日本古代史上における6世紀の出雲 -大庭山代古墳群史跡指定百周年によせて-」 その他:後ほどYouTubeにUPします
- 大阪歴史学会 例会 2024-09
#大阪歴史学会 (#大阪)は、日本最大手の学会の一つです。このたび、以下のとおり例会をひらくことになりました。9月は2回あります。オンライン開催ですので、ご都合がつきそうな方はご参加をなにとぞよろしくお願いいたします。 → 大阪歴史学会について → 会誌『ヒストリア』 大阪歴史学会 日本古代史部会(続日本紀研究会) 9月例会① 日 時:2024年9月6日(金)18:30~21:00 参 加:無料/ 事前申込み [9/5 木まで] 報 告: 増成 一倫 「儀制令元日国司条の機能と律令地方財政」 その他:終了後、オンライン懇親会の予定 大阪歴史学会 日本古代史部会(続日本紀研究会) 9月例会② 日 時:2024年9月27日(金)18:30~21:00 参 加:無料/ 事前申込み [9/26 木まで] 報 告: 北 将伍 「ウヂ成立前における人名の一側面-百済三書にみえる「キミ」 その他:終了後、オンライン懇親会の予定
- ガイド養成講座 2024-09
#島根県立八雲立つ風土記の丘( #松江市 )は、今年度も #ガイド養成講座 をひらいています。感染予防をとったうえでなにとぞご参加くださいませ。 令和6年度 第3回ガイド養成講座 中山B-1号墳の甲冑と古墳時代前期の山陰について 日 時:2024年9月21日(土)14:00~16:00 場 所: 島根県立八雲立つ風土記の丘 ガイダンス棟 (島根県松江市大庭町456) → 交通アクセスのページ 講 師:吉村 和昭(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館) 参加費:資料代200円/事前申込み不要/先着50名 対 象:年齢をとわず風土記の丘周辺で活動可能な方 講座終了後に出雲國まほろばガイドの会の一員として活動できる方
- 2024年 出雲古代史研究会 大会御礼
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。 出雲古代史研究会大会および見学会は盛況のうちに終えることができました。 報告者のみなさま、討論でご意見をいただいた皆さま、会場、オンラインで参加いただきました皆さまのおかげで、大変、有意義で充実した内容となりました。感謝いたします。 昨年に続き、古代交通研究会様、株式会社九州文化財研究所様はじめ多くの方に広報のお力添えもいただきました。この場をおかりしてお礼申し上げます。 次回の大会でも皆さまにお目にかかれることを楽しみにしております。重ねてありがとうございました。 最後にアンケートのご協力(9月2日 月 まで)もお願いできれば幸いです。既にアンケートをご記入いただいた方は、ご回答には及びません。今後とも出雲古代史研究会をよろしくお願いいたします。 ▼アンケートフォーム(約5分ほどお時間をいただきます) https://forms.gle/buux1UkdjbiTRxMMA 出雲古代史研究会・株式会社九州文化財研究所様・古代交通研究会様は、次のアカウントを開設しています。サイト・ブログのブックマークと、SNSのフォローをなにとぞよろしくお願いいたします。 出雲古代史研究会 サイト 出雲古代史研究会 Facebookページ(@izumoken) 出雲古代史研究会 Xアカウント (@izumoken) 株式会社 九州文化財研究所 サイト 株式会社 九州文化財研究所Xアカウント 古代交通研究会 サイト 古代交通研究会 Facebookページ(@kodaikotsu ) 古代交通研究会 Xアカウント(@kodaikotsu) 2024年8月25日(日) #出雲古代史研究会 事務局
- 日本史研究会 大会共同報告準備会ほか2024-09
#日本史研究会 ( #京都 )は、日本最大手の学会の一つです。このたび、次のとおり大会共同報告準備会をひらくことになりました。ご多用の折かと存じますが、なにとぞご参加くださいますようよろしくお願い申し上げます。 → 日本史研究会について → 会誌『日本史研究』 日本史研究会 古代史部会 大会共同研究報告 援助 日 時:2024年9月8日(日)14:00~17:30→ 通常と曜日・開始時刻が異なります 会 場:機関紙会館5F 大会議室(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町) → 交通アクセスのページ 報告①:竹内 亮 「日本古代の手工業生産における官と民」 報告②:吉野 秋二 「様工と技術労働力編成論」 日本史研究会 古代史部会 第3回 大会共同研究報告準備会 日 時:2024年9月14日(土)15:00~18:00→ 通常と曜日・開始時刻が異なります 会 場:①機関紙会館2F(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町) ②オンラインZoom 参 加:対面参加…事前申込み不要/ 事前申込み [9/14 土 正午まで] 報 告:三野 拓也 「奈良時代の労働力編成-造石山寺所を中心に-」 日本史研究会 大会全体会シンポジウム9月準備報告会 日 時:2024年9月16日(月祝)13:00~18:00 会 場:①機関紙会館2F(京都市上京区新町通丸太町上ル春帯町) ②オンラインZoom 参 加:対面参加…人数制限あり/ 事前申込み [9/14 土まで] 報告①: 皆川 雅樹 「「唐物」とは何か-平安期の「文化」との関わりから考える-」 報告②: 鹿毛 敏夫 「中世日本文化の展開と唐人・南蛮」