top of page

出雲古代史研究会の思い出(荒井秀規)



                    代表 荒井秀規



出雲古代史研究会の設立頃の思い出と言うことで、発足年の平成2年(1990)の手帳を見返してみた。35年ほど前になると記憶もあやふやである。それよりも先、出雲へも何回も来ているから、それらとの混同もあった。



初めて出雲の地を踏んだのは、1983年ではなかろうか。昨年、駒澤大学を退職された瀧音能之さんに連れられて、稲佐の浜で泳いだことは覚えている。その後、滝音さんや故関和彦さんと何度目かの出雲行きに、初めて飛行機で出雲空港へ降り立った。朝一便で羽田を発ち、9時過ぎには荒神谷に立っていた。内田律雄さんにもご同行いただいたかと思う。それまで、姫路ないし岡山まで新幹線、そこから中国山地を在来特急で越えて出雲まで来るだけで半日以上掛かっていただけに(今でもそうだが) 、航空機の便利さに驚いた記憶がある。以来、個人的には出雲へは航空機利用が普通となった。



 


閑話休題。手帳を見返して改めて驚いた。1990年7月27日(金)に出雲に入っている。瀧音さん、関さん、菊池照夫さんも一緒であったようだ。手帳の28日(土)は空白。どこを廻っていたのか。そして出雲古代史の大会(於島根大学)は29日(日)、手帳には「日御碕」とある。これは前日の行動か。そして、30日(月)に「巡見」とある。本会の発足当寺は、2日目の巡見まで含めて大会としていた。何回か続けたが、参加者各員個々に廻っている箇所が重なるようになり途絶えた。昨年、久しぶりに復活したが、毎年とするには運営側の負担が大きいようである。



手帳には続けて、31日に「おまつり」とある。これは鷺浦の柏神社の祭礼である。



一時期、大会のあと、内田さんのご案内で関さん、故小林覚さんほか何人かでこの祭礼に行くのがルーテイーンであったが、並河萬里撮影隊が入ってからはその意向によるのであろうか、祭礼の趣旨も内容も変わってしまい、いつしか行かなくなってしまった。最近の「おまつり」内容はどのようなものなのか。



 


さて、驚いたというのは、実はこの年、私は「巡見」にも「おまつり」にも参加していないようなのだ。というのは、29日、宿泊していた一畑ホテルへ戻ると、フロントで「妹さんから電話がありました」と知らせを受けた。その瞬間、聞かずとも内容はわかった。同居している高齢の祖母が亡くなったのだ。一応、家に電話して聞きたくない事を確認し、ホテルに翌日・翌々日の宿泊キャンセルを伝えた。その後のホテルの対応は素晴らしいものがあった。翌日朝一便への航空券変更、空港までの車の手配などはホテル側で全てしてくれた。とても有り難かった。



翌日、東京へ無事帰宅、翌々日の出棺の際に、日御碕で買った絵はがきをお棺のなかに入れたこと、ここまで書きながら思い出しました。



あとが続かなくなったので、ここまでとします。私事にわたり失礼しました。(了)




bottom of page