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出雲国風土記百景(第32景)

更新日:2023年4月13日

【冥土さん】



【撮影2023年3月7日】


今回は出雲郡の黄泉の穴、通称冥土さんを紹介する。22年の1月に『出雲国風土記地図・写本編』の制作にあたり、GPSを持って現地を確認しに行った。やはりGPSは威力があって、それ以前に想定した場所と、斜面の向きが違っていた。


その時は落ち葉などによってだいぶん埋まっていたが今年の3月に再訪すると、穴の中などだいぶ掃除されていた。手前の石柱の後ろの石には「黄泉穴」と刻まれている。


この穴について、『風土記鈔』は出雲郡540宇賀郷の地名起源伝承を記した後、「即ち…」としてつづく海辺の窟、黄泉の穴に比定する。

一方、『雲陽誌』では楯縫郡口宇賀(近世にはこの場所は楯縫郡である)の宇賀明神,奥宇賀の籠守明神・窟にその由緒がみえる。こちらでは話は複雑になっており、『風土記』の「即ち」より前の郷名起源伝承部分が取り入れられ、大己貴命が隠れた綾門姫(『風土記』宇賀郷状に見える神)を覗ったから宇賀郷、隠れた穴が黄泉の穴だとされる。


この間の経過については髙橋周氏が、佐草自清・千家延俊によって『風土記』の神話が宇賀神社に提供されたのではないかとしているが、妥当であろう。


さて、この穴にあった伝承とはどのようなものであったろうか。


この穴については本居宣長の『玉勝間』10巻に、宣長門人である浜田藩士小篠御野が、寛政6年ごろ弟子の斎藤秀満に実地調査させた話としてみえ、入り口付近の様子が細かく描写されているほか、穴について70歳ばかりの古老に聞いた話が記されている。

その内容は、穴は冥途の穴と呼ばれ、最近は訪れる人もいない、この穴からは毒気が出ることがあってそれに当たると息絶える、また鰐淵寺の智證上人(ママ)が入定した、などというもので、宇賀郷の郷名起源にみえる大穴持や綾門日女は全く登場しない。


神官などではなくあくまで古老の談であり、こちらが近世の地域社会にあった穴の伝承を伝えているとみるべきであろう。この毒気がでてそれに当たると死ぬという話は、実は伯耆国の弓ヶ浜にも夜見島と黄泉とを引き付けて伝わっていることがわかっており、中世以降の展開としてそれはそれで興味深い。


なお、『玉勝間』の最後は、この穴は海辺にあるとされる『風土記』の黄泉の穴ではないと結ばれている(宣長の解釈と思われる)。

                                   (平石 充)


参考文献 髙橋周2021「中近世出雲における『出雲国風土記』の受容と『日本書紀』」『日本書紀と出雲観』島根県教育委員会


※アラビア数字は『山川出版 風土記』所収出雲国風土記の本文行数です。

※『出雲国風土記 校訂・注釈編』編集のため、2月3月は連載をお休みします。次の更新は、4月9日土曜日になります。

※写真を差し替えました(4月13日)。



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