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出雲国風土記百景(第28景)

更新日:2023年5月17日

【意宇郡の島2】



【八尋鼻から松島を望む。左奥の山が十神山 2010年4月3日撮影】


前回の続きで、意宇郡の海岸の記述をみてみると以下のとおりである(199~201)。


入海。①門江濵。〔伯耆与出雲二國/堺。自東行西。〕②粟嶋。〔有椎・松・多年木・/宇竹・真前等葛󠄀。〕③砥神嶋。周三里一百八十歩、高六十丈。〔有椎・松・莘・萕頭蒿・/都波・師太等草木也。〕④加茂嶋。〔既/礒。〕⑤子嶋。〔既/礒。〕⑥羽嶋。〔有・比佐木・多年木・/蕨・萕頭・葛󠄀。〕


このうち、確実なのは④の砥神島で、現在の十神山である(現在は陸続きだが、江戸時代までは島であった)。また、地名から前回紹介した⑥羽嶋も現比定地にあたるとみらる。そして国境の門江浜(現在の門生)から西に行くとされているので、島の順は東→西のはずである。

また、島の記述は、Ⅰ大きさがあり植生の記載あるもの(④)、Ⅱ植生の記載があるもの(②・⑥)、Ⅲ磯とされるもの(③・⑤)に区分される。


この水域には松島・萱嶋(現在は島根県)がありそれなりの島だが、登場しない。沖俎岩は岩礁で水面上に顔を出す程度。

また、門生の県境付近には穂日島という島があるが、これも登場しない。



従来、粟島を近世の伯耆国にあたる米子市の粟島神社のある丘(近世まで島)に比定してきた。この粟島は、伯耆国風土記逸聞に出る粟島としてよい(近くに同逸文に見える余戸の地名があるため。)。

国境を超え、伯耆側の島を『風土記』が記していることになるが、これは無人島の帰属があいまいだったことによると想定している。ただし、島の比定についても見直す必要があるのかもしれない。


(平石 充)

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