【鯉と鮒】
【2021年 2月21日 島根県川本町湯本にて撮影】
今回は『風土記』に鯉がいるのかというお話。写真は残念ながら適当なものがなく、石見の川本町で撮ったもの。また、錦鯉も古代にはいなかったと思うがそこはご容赦を、写真優先のブログなので。 さて、『風土記』には生息する動物の記載があるが、淡水の魚類については原則川や池に記載されており、本ブログが採用する細川家本テキストには、この生物の記載としては「鯉」は存在しない。なぜこう書くかというと、生物の名称ではないが、地名に307島根郡鯉石島がみえるからである。
なお、鮒は多数見え(7か所)、出雲市青木遺跡出土の墨書土器ににも「三鮒」(美談の鮒の意味)がある。
一方、補訂本系写本の、完全なものとしては最古になる岸崎時照の『出雲風土記鈔』には、島根郡法吉坡(つつみ、山川では268にあたる)に「鯉・鮒」が記されている。
これについて岸崎の註(『風土記』本文の後に鈔曰く…として記される)については、髙橋周氏の検討がある。それに導かれながら触れると、まず時照は「鯉は衍字」「異本になし」として、大社の神官、佐草自清(さくさよりきよ)の説を引用する。
自清は、古くは鯉はおらず、堀尾忠氏の時に輸入した鯉がその後の洪水で国内に広まった、との見解を述べる。それについての岸崎の見解は、反語の繰り返しで正直真意を取りづらいが、最後に「何不敢信哉」(なんぞあえてしんぜずや)=岸崎説を信じるべき、と結んでおり、少なくともこの時点では「鯉はいなかった説」だと思う。
※なお、江戸時代まで出雲に鯉がいなかったということ自体は歴史的な事実とは思えない。『常陸国風土記』には鯉・鮒と併記され、出雲市上長浜貝塚(平安時代)出土の動物遺存体にはコイ・フナ両方が存在する。鯉のあるなしは『風土記』編者の動物認識論になると想定される。
さて、そうすると「鯉」が記されていた写本とは?ということになる。髙橋氏が述べるように、佐草自清が持っていたと思われる写本(現存せず)には、鯉はなかったし、岸崎も衍字(えんじ)=間違いといっている。
では、だれが書き加えたものか、ということが問題になる。次回に続く。
2022年8月25日追記
「だれが書き加えたか」としたが、細川家本・蓬左文庫・日御碕神社本は該当箇所に
「魚鳥」(一文字)があり、細川家本は抹消符を付けている。『鈔』の本文はこの文字を鯉と釈読したことになる。「魚鳥」の前は鳥類の記述であり、この文字は「告鳥」=鵠(ハクチョウ)の誤写の可能性がある。
参考文献 髙橋周2014「出雲国風土記写本二題 ―郷原家本と「自清本」をめぐって―」『古代文化研究』22
※髙橋の髙はハシゴ高です。 ※2022年8月25日に上長浜貝塚の記述を加えました。
(平石 充)
※次回は7月23日に更新します。
・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。
・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。
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