【正西道・山陰道跡】
【松江市玉湯町湯町の正西道跡 2013年ごろ撮影】
上の写真は松江市玉湯町湯町に残る、『風土記』の正西道(979~980)の痕跡である。この道路に沿って駅が設置されており、山陰道駅路であった。一段低くくぼんでいる場所が、当時の道路と考えられている。
出雲国内の山陰道の推定は、中林保・池田敏雄・池橋達雄氏古くからおこなわれているが、直線的古代道の研究がなされるようになって以降では、出雲国庁北の十字街より東と隠岐にわたる山陰道については中村太一氏が、また西については木本雅康氏が研究をくわえてきた。
上記の道路痕跡も、木本氏の推定によるものである。このさらに西側では、池橋達雄氏が推定していた通称「筑紫街道」で道路遺構が確認され、現在出雲国山陰道跡として、全国で初めて古代道路のみで国の史跡に指定されている(ほかの道路遺跡は、官衙遺跡と合わせての指定)。
【斐川町三絡(みつがね)に残る正西道 2022年4月20日撮影】 右側草地が道路で藪が見通せるところが切通しになっている。
さらに『風土記』には、他国にもあったであろうが、史料上確認できない駅路に充てられている以外の、国府と郡家を結ぶ道路網、また郡家と郡家を結ぶ道路の記述もある。
これらの道路網についても、中村太一氏によって、まさに今、再整理がなされている。
出雲国の古代道研究はまさに今、旬をむかえているといえる。
参考文献
木本雅康2011 「出雲国西部の古代駅路」『古代官道の歴史地理』同成社(初出は『出雲古代史研究』11 2001年)
中村太一2022 「『出雲国風土記』の交通路」『出雲国風土記 地図・写本編』八木書店
※次回は5月14日に更新します。
・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。
・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。
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