【島根郡の新造院】
今回は写真が今一つなので文章から。
『出雲国風土記』には寺院に相当する新造院の記載が各郡にあり、現存写本では意宇・楯縫・出雲・神門・大原の5郡に10の新造院と寺号を有する教昊寺がある。
これに加え、近年廣岡義隆氏が島根郡にも寺院記載があったのではないか、という興味深い指摘をしている。
『出雲国風土記』について詳しい方なら、完本といわれるこの『風土記』でも、細川家本をはじめとする脱落本系写本では島根郡の神社記載が2行を除いてごっそり抜け落ちていることはよくご存じと思う(脱落本系という名称もこの島根郡神社の記載が抜け落ちていることによる)。
脱落は、神祇官社14社と、不在神祇官社40社になる。現存する脱落本系写本の本文は下記の通りで、ちょうど不在神祇官社の最後の5社が残されている。脱落は1行あて4社とすると、神祇官社4行、不在神祇官社10行、合計14行となる。
大埼社 大埼川辺社 朝酌下社 努那彌社
椋見社 [以上不在神祇官社卌五社] []内は割注
廣岡氏の推定は、脱落本系写本の親本は1頁8行で割り付けられているから、1丁(表裏2頁分)が脱落すると16行が失われるはずであり、上記の神社分14行以外に2行分の記載があったのではないか、というものである。
細川家本は神社の前は千酌駅の記載で終わっているが、郡冒頭の郷名記載の最後と合致し、この後に郷の記載が脱落している可能性はない。したがって、郷の後で神社の前にあるべき寺院の記載が2行分(寺院一つ分)あったのではないか、ということになる。
さて、それにあたる古代寺院があるのであろうか。
それが今日紹介する松江市東生馬町の平の前廃寺である。一部で発掘調査も行われ、四王寺跡(意宇郡山代郷南新造院)と范は異なるが同紋の軒丸瓦が出土、付近にあった礎石は現在同町の法恩禅寺に移されている。
礎石はあまり大きくないが(計測するのを忘れました)、柱座が半球形に盛り上がっている。実は同様の礎石は出雲の古代寺院ではしばしばみられ特徴的なものだ。
【平の前廃寺の礎石 2017年9月3日撮影】
【来美廃寺の礎石 風土記の丘展示学習館前に移設 2022年4月17日撮影】
ただし平の前廃寺の瓦は四王寺より後出するので、時期的には『風土記』段階に寺院が完成していたとは考えずらいが、神門郡古志郷新造院(682)のように「厳堂を立てず(=中心伽藍がまだ完成せずの意味か)」であったのかもしれない。
なお、古志郷新造院に推定される古志遺跡も、出土する瓦は『風土記』より後出するものとされる。
参考文献
廣岡義隆2019「蓬左文庫本『出雲國風土記』について」『古典と歴史』5 燃焼社
(平石 充)
※廣岡氏の論文について誤読があったため、4月19日に最初に掲載していた本文を改めました。
※今回から隔週毎週土曜日に更新。次回は4月30日に更新します。
・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。
・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。
・写真の無断転用はお断りします。