【島根郡の立石】
前回紹介した、華蔵寺の立石は、大岩の脇にある高さ1.5mくらいの立柱状の石である。ちかくには巨岩が転々としており、自然とこうなったのか、人為的なものなのかにわかに判断しづらい。
【華蔵寺 弁慶の立石1】(2022年3月20日撮影)
さて、私の勤務している島根県古代文化センターでは『出雲国風土記』掲載地の地図を作成しているが、その過程で、この周辺に立石が複数あることが判明している。
一つは尾根伝いにある枕木山を下った尾根の鞍部にあるもの。高さは約1mほどであり、下の写真右側が西の本庄町、左側が東の邑生町、長見町への分水嶺になる。
【邑生町の立石】(2022年4月1日撮影)
こちらは、実は推定古代山陰道(隠岐にわたる枉北道)の近傍に当たる。似たような立石は山陽道ほかでも知られており、その年代は不明だが、やはり古代道路に関連するものであろう。
そうなると華蔵寺の立石はどうなのかということになるが、いわゆる磐座的なものとみることもできる(出雲市坂浦町の立石など)。
もう一つ、ある時期にこの辺りに交通路(島根郡家から千酌にぬける)があったという考え方もありなくはない。
この場合は山岳寺院と交通路の問題になる(鰐淵寺などにも同様の考え方は成り立ちうる)。
(平石 充)
※公開当初地図の弁慶の立石2についても、道路に関連する立石としていましたが、本庄考古学会より横穴式石室(御供田古墳)の玄室奥壁であるの指摘がありました。元位置を動いている可能性も低いので指摘に従い削除しています(2022年5月14日)
※次回から隔週毎週土曜日に更新。4月16日に更新します。
・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。
・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。
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