【三穂之埼】
(2021年10月23日撮影)
写真は鳥取県大山町平(たいら)付近から、北を向いて美保湾越しに美保関を写したもの。この時は雨雲の切れ目に一瞬だけ光が当たる条件だった。写真の左(西)から右(東側)に、長く伸びた島根半島が見える。
さて、『風土記』の冒頭、3行目には「東(西脱か)一百卅七里十九歩」の記載と南北の記載がある。これは出雲の国の東西の長さを示すものと考えられているが、巻末にある道路の記載(954~990)の数値とは一致しない。いわゆる駅路の東の伯耆国境~西の石見国境の合計とは近い数値になる。
ここで問題となるのは、駅路の伯耆・出雲国境よりはるかに東にある、美保関である。
写真で見ればわかるように、美保関が出雲の東端であることは、だれでも認識できたはずである。
東西の推定値は駅路延長に近いわけであるが、これは国と国を結ぶ最短の経路に当たる。
以上のことを念頭に置けば、『風土記』冒頭の東西南北は、最大幅を記しているのではなく、国内を通り抜ける際の最短経路を示している可能性もあるのではないか。
(平石 充)
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・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。
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