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出雲国風土記百景(第23景)

【飯梨川の河口】

【2020年 4月5日撮影】 


写真は古墳のようにも見えるが、古墳ではなく、砂堆のようだ。撮影場所は下図のとおりで住吉と論田の集落の間に当たる。両集落は自然堤防上にあるので、かつてはその間にも砂堆があったものの、墓地を残して削平、水田とされたのが現状であろうか。

 この砂堆は、時代は不明だが、飯梨川によるものと推測される。


 さて、『風土記』にも189に飯梨川がみえ、入海に注ぐとされているが、具体的な流路は不明である。また下流部については近世以降の堆積(写真の砂堆もそれか)で、古代の微地形は見えていないと推測され、手がかりは少ない。

 いちおう、意宇郡の海岸記載には201羽島(安来市飯島町の羽島神社の丘)は記述があるので、安来平野の島は記されている模様であり、次の島は塩栯(しおたて)島(大橋川にある塩楯島)なので、この間に島はなかったことになる。

 以上の前提に立てば図中の山A・山Bも島ではなかったことになる。研究史的には、現在の田頼川が旧河道で、そこから平野中央に遷移していくと考えられているようであるが、検討の課題のある場所である。


 さて、現在の飯梨川河口であるが、中国山地からの供給が少なくなったとはいえ、砂が付近に堆積して、砂州を形成している。

 主にウインドサーフィンのメッカになっているようで、写真を撮りにきているのは私一人の状況が多いが(鳥を撮っているいる人は別にいるのかもしれない)。それなりの景勝地なので、興味のある方は是非訪れてみてほしい(右岸には駐車場有り)。

【飯梨川河口 2020年4月5日撮影】


【飯梨川河口 やや上流から 2020年6月28日撮影】


                               (平石 充)

※次回は7月9日に更新します。

 

・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。

・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。

・写真の無断転用はお断りします。

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