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出雲国風土記百景(第6景)




第6景 来待川河口夕照(2016年ごろ撮影)


意宇(おう)郡の河川(山川195)にみえる「来待川」は現在の来待(きまち)川とみてよいだろう。

現在の河口付近の河道は直線的で、これは文政4年「出雲国十郡絵図」(島根県立図書館)まで遡る。


ただし東来待・西来待の字堺は現河道から離れたところで蛇行しており、そこに「古川」地名がみられることから、時期不詳だが現在よりも西で宍道湖にそそぐ旧河道が確認できる(宍道町教育委員会1995『宍道町歴史資料集 地名編』)。


また航空写真(USA R514-4)や、松江藩の治水資料『土工記』(『松江市史 史料編5近世Ⅰ』)には山王横土手と呼ばれる現河道に沿わない土手もみえる。


古代においては直線的山陰道が東西に走っており、長さ8丈の来待橋(山川979)や道標的施設である立石も確認されている。山陰道敷設に合わせどの程度河道が固定されていたのか、気になる場所である。


※毎週土曜日に更新中。

 

・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。

・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。

・写真の無断転用はお断りします。

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