【清水寺参道】
(2021年6月20日撮影)
『風土記』には記述がないが、安来市清水寺は、室町時代建立の根本堂(重要文化財)、平安期の阿弥陀如来像・十一面観音立像、嘉暦4年〈1329〉在銘の摩多羅神座像(いずれも重要文化財)などを持つ、天台宗の古刹である。
また、根本堂の解体修理に当たり、一部発掘調査を実施していおり、その際に先行する掘立柱建物が確認され、須恵器が出土した。須恵器の年代からその起源は9世紀ごろには確実に遡る。
清水寺の参道は、境内の南辺、かつては安来市門生(かどう)から宇賀荘(うがのしょう)にぬける街道側にあり、今も仁王門(八脚門)がある(訪問の際は是非こちらにも足を伸ばしてほしい)。
現在は、駐車場のある清水町の谷を遡るルートが中心となっている。ただし、こちらの参道も注意深く観察する必要があるだろう。
まず、大門(上の写真奥)手前に不動明王の安置されたあるのが岩塊があり、少しわかりにくいが、この岩から水がしたたり落ち流れを作っている。
この谷をさらに遡ると根本堂石段下の広場に達するが、そこには弁天池があり、また手水屋の脇には、見落としそうになるが閼伽井(あかい)堂がある(下写真。他に清水井戸という井戸もあるらしいが未確認)。
これらの水源がおそらく清水寺の由来と考えてよいだろう。特に岩から水がしみ出すある意味不思議な景観は、意宇郡の神名樋野とされる茶臼山や楯縫郡の神名樋山とされる大船山、寺院では出雲市鰐淵寺、松江市華蔵寺、岩屋寺他で認められ、信仰の対象となった可能性が高い。
さて、清水寺から発する流れは、次第に大きくなり、最終的には安来市役所の東側を流れ安来港に注ぐ木戸川となっている。換言すると、清水寺は木戸川の水源地なのである。
また、木戸川は下流では伯太川と平行する箇所があるが、決して現在の伯太川には合流しない。その一方で、山際を通る万才川とは宮内町で合流している。
このあたりは、現在の伯太川が『風土記』の186伯大川と同じ川なのかどうかを考える上で重要な論点を提供するが、それはについてはまた機会を改めて紹介したい。
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・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。
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