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出雲国風土記百景(第12景)

更新日:2022年3月27日

【戸江剗 とのえのせき】

(2011年ごろ撮影か)

島根郡301に、戸江剗(せき)がみえる。『風土記』では剗の記述は各郡の郡末の隣郡までへの道路記載に見えるのであるが、ここのみ、海浜部の記述のなかに剗がある。


戸江剗。郡家正東廿里一百八十歩なり。 島にあらず。陸地の浜なり。伯耆郡内の夜見島に相向かう間なり。


郡家からの里程が書かれるのも異例な記述で、続く303粟江崎に渡の記述もあることから、この剗を経由して伯耆国から出雲国に入る官道があったと考えられる。


さて、写真は境港市の外江(とのえ)港からのもので、対岸の山並み右端、福島造船のドックの大型建物のあるあたりが、剗の所在地とされる。


 『風土記』に見える剗のうち、固有名詞を持つのは、伯耆国堺の手間剗とこの剗だけであるが、いずれ遺称地名は伯耆側にある。一方、著名な三関などは畿内より遠くにある側の国が管理している。固有名詞を有することから、これらの剗は出雲国側が管理していると見られるが(石見国堺の関には名称が記されておらず、石見国の管理か)、なぜ伯耆国側の地名を有しているのかは、問題の一つである。


※毎週土曜日に更新中。

 

・写真は加工されており、資料的価値ありません。写真としてお楽しみください。

・本文中のアラビア数字は沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編『風土記』山川出版の行数です。 ・解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。

・写真の無断転用はお断りします。

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