委員 武廣亮平
今回から出雲国の移配エミシについて、関連史料をもとに具体的に述べてみたいと思います。第2回目は出雲国の移配エミシを考える出発点となる史料を紹介します。(実際の記事は漢文ですが、内容がわかりやすいように現代語訳しました)。
(桓武天皇が)勅して言うには、相模、武蔵、常陸、上野、下野、出雲などの国の帰降した夷俘(蝦夷と俘囚)は徳沢(仁徳のめぐみ)により生活している。事あるごとに撫恤(いつくしみ)を加え、帰郷を願うことが無いようにすべきである。時服、禄物は毎年これを給い、その資糧(生活資材と食糧)が絶えた時にも優恤(情けと憐み)をすべきである。季節ごとの饗宴や禄などの類は、国司に命じて行わせるとともに報告させよ。その他の必要と思われる施策は、まず申請してから行うように。
(『類聚国史』延暦17年(798)6月21日条)
桓武朝における主要な政策が「軍事と造作」(エミシの征討と造都事業)であったことは知られていますが、このうちエミシの征討(征夷)は、前回も触れたように延暦13年(794)の征夷大将軍大伴弟麻呂・副将軍坂上田村麻呂により行われたものと、延暦16年(797)から20年頃にかけて坂上田村麻呂を征夷大将軍として行われたものが大きな成果をあげたと考えられています。上記の史料は延暦17年という年からすれば、延暦13年の征夷により帰降したエミシを中心とする人々と理解してよいでしょう。
史料の内容についてもう少し掘り下げてみます。これは桓武天皇の勅として出されたもので、相模国以下の6ヵ国に対し、それらの国に移配されたエミシ(夷俘)の扱いについて指示しています。
また後半部の内容からは、移配エミシが非常に厚遇されていた様子を見て取ることができます。たとえば「時服」とは毎年春・秋に支給される服料のことで、本来は国家の官人を対象としたものですが、これがエミシにも支給されているのです。「禄物」が具体的に何をさすのか明らかではありませんが、おそらく生活に必要な物品であったと思われます。
さらに彼らは季節ごとの「饗宴」に伴う禄物の賜与にもあずかっていたようであり、これも異例の待遇です。このように延暦17年段階における各国への移配エミシへの待遇は、やや過剰といえるほどの手厚いものであったことがわかります。
ではなぜこのような厚遇がなされていたのでしょうか。それは史料の「帰郷を願うことが無いようにすべきである」という文言がヒントになっているようです。一般的に移配されるエミシは国家による征討(征夷)により投降した集団であると考えられていますが、その実態は軍事行動による捕虜とともに、自らの意志で移配を希望する地域の住人など多様なものであったと思われます。
史料では「移配」という二文字で簡単に説明されていますが、それはエミシの人々にとっては、それまでの居住地から遠く離れた土地への移住であり、その移動手段も徒歩であった可能性が高いようです。そのような厳しい条件のもとで移配という政府の政策を受け入れた(もちろん「強制」されたケースもあったと思いますが)人々への処遇を意識するのは当然のことといえるでしょう。
さらに移配は国家・天皇の支配が及ばない「夷狄」=エミシに対し、その仁徳を示すことで支配に取り込むという政治的な意図を持っており、前掲の史料にある「徳沢」や「撫恤」、「優恤」といった言葉はまさにそれを象徴しています。
移配先における手厚い待遇は、実質的にはその土地への定着をはかるための措置ともいえますが、理念的には、天皇の徳により「夷狄」を国家の支配のもとに従わせるという側面があることも確認しておきたいと思います。『類聚国史』延暦19年(800)5月21日条には、「夷狄を招いて中州(陸奥・出羽以南の内国)に入れるのは、野俗を変えさせて風化に靡かせるためである」とあります。「風化」とは徳により人を感化・教化するという意味であり、ここにもエミシ移配の理念的な側面が表れています。
この記事でもう一つ注目されるのは、彼らが移配された地域です。史料を見ると相模(神奈川県)、武蔵(埼玉県・東京都・神奈川県東部)、常陸(茨木県)、上野(群馬県)、下野(栃木県)という東国の地名が多く見られ、いずれも現在の関東地方であることがわかります。
エミシの本来の居住地域は東北北部なので、そこから距離的にもあまり遠くない関東地方への移配が中心になっているのだと推測されますが、移配される人数が多かったことから、長距離の移動はエミシに支給する食料の調達や、移動を管理する部領使と呼ばれる役人の確保が難しいという判断などもあったのかも知れません。
そうするとここに出雲国が含まれているというのはやはり非常に気になります。出雲国は、多くのエミシが移配された関東地方から西に大きく離れており、何らかの理由があったことを窺わせます。ではその理由は一体なんでしょうか。新たな史料を紹介しながら次回考えてみたいと思います。
→12月15日(火)に続きます