火神岳あるいは大神岳
宍道湖の北岸から望む朝焼けの中の伯耆大山(ほうきだいせん)。
大山は『出雲国風土記』の国引き神話に「伯耆国火神岳」(山川73)としてみえる。この山の初見記事だが、『続日本後紀』承和4年に大山神、『延喜式』神名下伯耆国会見郡には大神山神社が見え、以後はこの山は大山と呼ばれている。
主要『風土記』写本はすべて「火神岳」だが、「火」の文字は「大」とも類似しており、大神岳のであった可能性も否定できない。
大山は火山であるが活火山(過去1万年前以降に噴火のあった火山)ではないので、火山活動の記憶により火神岳となったと考えるべきではないだろう。加藤義成氏は古代人が富士山型の山容からの直感した推測とするが(『出雲国風土記参究』)、命名者(集団)が噴火する成層火山を見たり、イメージすることができたかどうか(三瓶山は縄文時代に噴火しているが)。むしろすそ野に広がるクロボク土壌からの推測ではなかろうか。(平石 充)
→次回は12月11日(土)の更新です
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解説は撮影者によるもので、出雲古代史研究会の公式見解ではありません。
解説中の(山川73)は、『出雲国風土記』(沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉編 山川出版2005)の登場行数です。
『出雲国風土記』登場地以外も取り上げます。
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