委員 吉永壮志
皆さま、こんにちは。出雲古代史研究会委員の吉永壮志です。
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして数か月が経ちました。主人公は『源氏物語』の作者で知られる紫式部(むらさきしきぶ)で、平安時代が大河ドラマの舞台となるのは2012年の大河ドラマ「平清盛」(たいらのきよもり)以来のようですから、干支がちょうど一回りしたことになります。
さて、その「光る君へ」には、紫式部が生きた10世紀後半から11世紀前半に活躍した、さまざまな人物が登場しています。そのなかで私が注目するのは中国宋の商人である朱仁聡(しゅじんそう)です。当時、外国との窓口として大宰府が重要な役割を果たしていましたが、朱仁聡は長元元年(995)に若狭に来着し、その後、越前に移っており、長保2年(1000)年頃に大宰府に赴くまで、約5年間、日本海地域に滞在していました。
朱仁聡が日本に来着した翌年の長元2年(996)には紫式部の父である藤原為時(ふじわらのためとき)が越前守に任じられており、在任中に宋人と漢詩のやりとりをしたことが知られています(『本朝麗藻』(ほんちょうれいそう)下、贈答)。
学者であった為時は漢詩に通じていたため、宋人の対応役として急遽越前守に任じられた可能性が考えられますが、その為時の越前下向に紫式部も従っており、父為時と宋人との交流の様子を紫式部は間近でうかがい知ることができたかもしれません。
大河ドラマ「光る君へ」において、紫式部と朱仁聡ら宋人との関係がどのように描かれるのか、もし描かれるようなことがあれば、その際は本コラムでも越前における宋人との交流について少し触れてみたいと思います。
やや話が逸れましたが、 宋の商人朱仁聡の存在から、平安時代の外国の商人との窓口として、大宰府を中心とする北部九州だけでなく、若狭・越前を中心とする日本海地域も機能していたことを知っていただくことができたのではないかと思います。ただ、これは宋の商人が登場する平安時代中期以降だけでなく、それ以前からみられていました。その「商人」が本コラムのタイトルにある「渤海使」(ぼっかいし)です。次回、渤海使についてお話します。
※ 第35回出雲古代史研究会大会が「古代出雲と日本海交通」をテーマとして8月24日(土)に開催されます。平安時代の日本海交通を中心に出雲・石見・隠岐の概要を明らかにするとともに、このような交通が地域社会にいかなる影響を与えたのか、その意義について検討する予定です。
考古学・文献史学などを専門とする4名の報告とパネルディスカッションが行われますので、是非ご参加いただければと思います。なお、大会の詳細ならびに申し込みは、当ホームページの大会のご案内ページをご覧ください。
→次回更新2024年6月23日