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拙著『古代王権の成立と展開』(八木書店刊)の紹介

  • 15 分前
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会員 仁藤 敦史



本年3月で34年間勤務した国立歴史民俗博物館を定年退職しました。研究の一区切りとして、これまで執筆してきた論文のうち、古代王権にかかわる論考12本を時代順に並べて一書としてまとめました。光栄なことに、出雲古代史研究会から拙著の紹介文執筆を勧められましたので、以下に自薦文を書かかせていただきました。





本書は、「あとがき」にも書きましたように、拙著『古代王権と東アジア世界』(吉川弘文館、2024年)に続く、5冊目の論文集となります。



2002年以降に発表した論考のうち、世襲王権の成立過程、「大化改新」論、奈良期の王権と儀式、女帝の成立とモガリ儀礼、古代都市論、皇統意識の変化と氏など、主に5世紀から9世紀に至る王権の成立と変質過程についての論考12本を序章と4編に配列しました。王権の長期的な変化を概観することで、「万世一系」論のような天皇制の不変性のみを強調する議論を批判し、相対化することを大きな課題としています。



具体的には、主に5世紀から9世紀に至る王権の初段階を、欽明期・7世紀後半・桓武期を画期として位置付け、5世紀の人制・府官制、6世紀の部民制・ミヤケ制・国造制、7世紀後半の公民制・大宰総領制・外交関係の変化、8世紀末の都市王権の成立、皇統観念と氏の再編などを素材として論じたものです。





とりわけ、出雲古代史と関係が深いのは、第1編の2本の論考です。第1編「世襲王権の成立-六世紀」では、出雲地域をフィールドにして5・6世紀における王権の変化を考察しました。



第一章「欽明期の王権と出雲」(初出『出雲古代史研究』26号、2016年)では、欽明期におけるヤマト王権支配機構の発展段階を明らかにし、当該期における出雲地域の様相をヤマト王権との関係において論じました。



ミヤケ制・国造制・部民制という国内支配制度の整備による内政の充実がおこなわれ、並行して神話と系譜、および神祇制度といったイデオロギー的な整備もおこなわれました。こうした状況において、国造制の成立をイデオロギー的に合理化するために原国譲り神話の再構成が欽明期に必然化したことを論じています。



国譲り神話の重要な要素であるオオナムチ(大国主)神が「日隅」に隠れる場所として位置づけられた原初的な杵築大社の造営と祭祀が、新たに任じられた出雲国造=出雲臣にまかされました。杵築大社の大きな社殿と祭祀者たる神主の設置が国譲りの条件で、東西出雲の統一と表裏の関係にありました。



国造制の施行、原帝紀・旧辞の成立による神話体系の整備、それと連動した祭祀と祭官の整備は、独立的な「国主(ヌシ)」から従属的な「国造(ヤカツコ)」への転換期において、「国主」の服属を象徴的に正当化するため創出された出雲大神の神格を決定づけたと考えました。



本稿の内容を講演会を基礎にわかりやすく論じたものに、「古代出雲とヤマト王権」(島根県古代文化センター 編『古代出雲ゼミナールⅣハーベスト出版、2017年)と「倭屯田の成立と国譲り神話の転換-画期としての欽明朝-」(『大美和』132号、2017年)があります。



第2章「欽明期の王権段階と出雲-前史との比較を中心として-」(『国家形成期の首長権と地域社会構造』出雲古代文化研究センター研究論集22号、2019年)では、5世紀の王権段階を府官制と人制を素材に考察しました。ここでは出雲の玉造の問題について言及しています。




古代出雲をフィールドにした研究については、師匠であった水野祐先生をはじめ、大学の大先輩である関和彦・瀧音能之氏の研究がすでにあり、それらの業績に多くを学びながらも迂闊に手を出すことが憚れる対象として感じておりました。


出雲は今でもそうですが、他地域とは異なり特殊であるとの傾向が強かったように思います。同じ手法の研究はできないので、王権研究の立場から出雲がヤマト王権の全国支配において、どのような役割を担ったのかという立場からの研究をしたいと考えたのが第1編の論考でした。出雲地域が、古代王権の発展に重要な位置を占めたことを論じたつもりです。高価な本ですが、是非ご一読いただければ幸甚です。



八木書店、2025年5月刊、本体10000円+税



仁藤敦史『古代王権の成立と展開』
仁藤敦史『古代王権の成立と展開』



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