委員 三舟隆之
本書は、「ものが語る歴史」からの視点で、古代の食の再現とそれによる古代人の食生活と生活習慣病の関係に踏み込もうとした、現代の食と生活習慣病にも関係する、新たな視点の書である。現在、和食が健康的な食であるという評価があるが、そもそも日本人は何を食べてきたのか、という歴史的な課題を明らかにする必要がある。
本書の目的の一つは、考古学や歴史学に留まらず調理学や食品学、栄養学などの幅広い分野の学際的研究を目指しており、それらの研究史と最新の研究成果を紹介することにある。そのためにはまず第1章で古代食研究の方法と問題点を挙げ、さまざまなアプローチの可能性について言及する。
まず日本人は旧石器時代から縄文時代にかけて狩猟採集生活を行い、土器を発明した。その土器をどのように使うかについては最新の研究成果があり、それらを紹介する。第2章では、近年では米の炊飯法についてもさまざまな研究が行われており、土器をどのように使うか、食器と調理学との視点から土器の名称から用途を史料から探り、さらにその使用法について考察するところから考察するところは画期的な研究である。
このような考古学的な視点から古代の食についての研究は今までもあったが、本書の目的の第二として画期的なのは、木簡や「正倉院文書」、『延喜式』などの文献史料に見える食材や調味料を実際に実験で再現してみたところである。
第3章では、例えば奈良時代に各地から貢納された鮎やアワビ、カツオ等の水産物や鹿・猪などの獣肉がどのように加工されて保存されたか、さまざまな史料からの再現と実際の再現実験で実証する。また野菜や果物などの保存法、さらには塩や酢などの調味料などの再現実験も行い、古代の食の実態に迫る。その上で第4章で「正倉院文書」にみえる写経生の給食を再現した。
写経所での給食の再現からわかることは、東大寺に附属することから仏教上の禁忌があり、獣肉類や水産物を欠いた食事内容であることが判明する。またその史料から再現した食事の量はかなりのものであり、支給された食材は給与の性格もあることが分かった。
ただ炭水化物と塩分の多い食事では、さまざまな疾病が生じる可能性がある。とくに「正倉院文書」には写経生の病気による休暇願が残っており、そこから食と生活習慣病の関係を探ることは可能だ。
第5章では、古代の食と生活習慣病との関係を探る。古代の生活習慣病で有名な人物は、山上憶良である。『万葉集』に残る彼の「沈痾自哀文」は、老齢に加え足腰の痛みや肥満を訴える症状が記されているが、従来山上憶良のこの疾病について、食からのアプローチはなかった。
同様に「望月の歌」で有名な藤原道長が糖尿病であったことは、すでによく知られているところである。このような食から見た古代の生活習慣病は、歴史的に見て新たな研究分野が開かれる可能性がある。
現代の我々はここ近年のコロナウィルスによって、多くの死者を出して社会生活に大きな影響がでた。これに匹敵するのが、古代では天平9年の疫病の大流行であるが、これも当時の食生活から感染に弱い体質を日本人は作ってきたのではないか。本書は今後こういう視点で食と生活習慣病との関係を歴史的に見ていく一つの足がかりになる書ではないかと考える。
和食は健康に良いという評価があるが、それは日本列島が海に囲まれた自然環境の中で、米などの穀類と水産物、そして野菜類という限られた食材をどのように保存するかという、大きな問題がある。そこから選択された食事が和食であり、過剰な炭水化物と塩分の摂取は必ずしも健康に良いという結果をもたらしていないということを、歴史的に評価してみたかった。